東京電燈 - 東武鉄道
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「東武伊香保軌道線」の記事における「東京電燈 - 東武鉄道」の解説
1921年(大正10年)3月30日 東京電燈と利根発電の合併が認可。前橋駅前 - 渋川新町間を譲受。 7月1日 鉄道省上越南線新前橋 - 渋川間開通。軌道線は都市間連絡の役割を奪われる。 12月10日 東京電燈が高崎水力電気を合併。高崎 - 渋川 - 伊香保間を譲受。 1927年(昭和2年)10月1日 東武鉄道が東京電燈から前橋駅前 - 渋川新町間、高崎駅前 - 渋川(渋川新町)間、渋川(渋川新町) - 伊香保間の軌道事業を買収。伊香保軌道線(前橋線、高崎線、伊香保線)とする。 1933年(昭和8年)前橋線前橋駅前の乗降場を駅前広場東側から西側へ移設する。 1935年(昭和10年)路線バスの攻勢で業績が悪化し廃止を決定、準備に入る。 1937年(昭和12年)7月 日中戦争が始まったこの頃から燃料不足でバスが走れなくなり、軍需輸送も相まって軌道線廃止方針を撤回、利用が促進される。 1945年(昭和20年)7月 強制疎開により前橋線前橋駅前車庫建屋を撤去し岩神に引き込み線を設けて車庫機能を疎開させる。 7月30日 前橋線上小出地区内で車両に米軍機が機銃掃射、乗客に犠牲者が出る。 8月5日 前橋空襲により市街地の約80%が焼失。市街地区画整理・復旧が完了するまでの約2年間は前橋駅前-岩神間を運休し、岩神を起点として運行する。 1948年(昭和23年) 戦争で中断していた車両の「車体締替」工事(車体更新)を再開。 1953年(昭和28年)1月25日 地元からの要請で前橋線 前橋駅前 - 医大前間を休止。萩町に車庫を設置して起点とする。 7月1日 高崎線 高崎駅前 - 渋川新町間廃止。 1954年(昭和29年)3月1日 前橋線 前橋駅前 - 渋川駅前間廃止。 1956年(昭和31年)12月29日 伊香保線 渋川駅前 - 伊香保間廃止。伊香保軌道線全線廃止。
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