資金調達のため経営権を譲渡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 02:22 UTC 版)
「箱根登山鉄道」の記事における「資金調達のため経営権を譲渡」の解説
1895年2月1日には、日本で初の営業用電車の運行を行なう電気鉄道として京都電気鉄道が開業し、小田原馬車鉄道では社長以下の重役が視察を行なった。この視察により、電気鉄道への転換への意欲はさらに高まったが、電化に必要となる資金の調達は未解決のままであった。そこで、東京馬車鉄道と協議の上、「1300株ほど発行されていた小田原馬車鉄道の株式のうち、1000株以上を東京馬車鉄道に譲渡し、その代わりに電化に必要な資金は東京馬車鉄道が負担する」という約束がまとまった。これによって、会社の経営権は東京馬車鉄道へ譲渡された。これは「名を捨てて実をとる」行動、つまり会社自体を売ってでも電化を実現しようとしたのである。 この頃、東京馬車鉄道においても電気鉄道への変更を目論んでいた。しかし、狭い道路での電気鉄道の運行が危険と考えられたことや、1891年に仮の国会議事堂が漏電により焼失していたことから「電気は怖い」という風潮が広まっていたこともあって、認可されていなかった。そこへ小田原馬車鉄道からの経営権譲渡の話があり、東京馬車鉄道では「まず箱根で実績を積むことで認可を得よう」と考えたのである。これによって、社長には東京馬車鉄道の取締役であった中野武営が就任し、東京馬車鉄道社長の牟田口元学と東京電燈の藤岡が取締役に就任したが、初代社長の吉田と2代目社長の田島も取締役として留任している。 なお、日清戦争終結後の好景気により、1896年から馬車鉄道の利用者は増加に転じ、同年の利用者数は前年比43パーセント増となった。 資金調達の目途も立ち、1896年7月には電気鉄道の敷設許可も得られたことから、同年10月には社名を小田原電気鉄道に変更した。このときに資本金も70万円に増資されたが、出資者の顔ぶれの中には東京電燈社長の神戸挙一のほか、関西鉄道社長の前島密、日本郵船社長の近藤廉平、木曽川電力と天竜川電力社長の福澤桃介、後に東武鉄道の社長となる根津嘉一郎 (初代) の名前が見られるが、これらは当時「有力な鉄道」として評価されたものとみられている。まず電力を供給するための設備として1898年に湯本茶屋発電所の建設が開始され、続いて1899年2月からは軌道の電化工事が開始された。橋梁の改修や架け替え、軌道敷設工事なども進められ、1900年2月に発電所が竣工し、1900年3月には全ての工事が完了した。
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