資金計画と地元協力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 17:11 UTC 版)
伊勢湾岸道路は愛知県など地元の強い要請によって建設された。このため国は、建設の見返りに費用負担など強い地元協力を要請した。画像左は新宝ふ頭に建設された新宝高架橋で、橋脚部分や東海IC料金所関係施設を除いて、高架下や両端の県道用地の取得費用は愛知県負担となった。画像右は名港潮見ICで、当該ICの建設費用は名古屋市と愛知県が全額負担のうえ、名古屋港管理組合が建設した。 伊勢湾岸道路は、国道23号名四国道の混雑が著しいことで、中京圏の経済に大打撃を被っている状況から、豊田市の東名高速道路と四日市市の東名阪自動車道を結ぶ国道23号のバイパスとして地元自治体や経済界が国に伊勢湾岸道路建設を要請したことから計画は具体化した。なお、計画初期から高速自動車国道として計画することは当時の状況から不可能で、これは高速自動車国道建設の拠り所となる当時の国土開発幹線自動車道建設法に、豊田 - 四日市間に該当する法的根拠となる路線の記載がないためである。よって伊勢湾岸道路は、国土開発幹線自動車道建設法に拠らずに建設できる一般有料道路として計画が進められた。 長きに渡った地元自治体や経済界の陳情が効を奏し、1979年(昭和54年)に環状道路である一般国道302号を構成する路線の一部という位置付けで事業許可を受け、まずは整備の緊急度が高い金城ふ頭 - 西二区(飛島)間3.2 km(名港西大橋とその取り付け道路)が着工されることになった。この時の着工にまつわる役割分担としては、一般有料道路事業としての名港西大橋本体(758 m)が日本道路公団受け持ちで、最終的な工費は185億円、その前後のふ頭と西大橋をつなぐ連絡道路を建設省の担当として、こちらは税金投入とされた。いわゆる合併施行方式である。 1986年(昭和61年)3月、残る東海市 - 金城ふ頭間の路線建設について、建設省から愛知県と名古屋市に建設案が提示された。この時の名古屋市の考えは、名港西大橋一期線と同様の公団による建設を望んでいたが、建設省から示されたのは、地元にも応分の負担を求めるものであった。当時の国は財政再建のための国費節減を謳っており、伊勢湾岸道路建設に対する国の反応として、地元による応分の負担は当然の流れでもあった。資金計画としては、有料限度額を1150億円に設定したが、これは30年間で資金を返済していくためには、この金額が限度であるためで、それを上回る工費については地元で調達して欲しいということである。計画初期段階の見積もりでは1340億円(のちに1500億円に修正)とされ、1150億円の差額の190億円について、地元協力、公共事業分とした。また、1150億円のうち、500億円については地元経済界から低金利で資金を借り入れることとされ、民間資金活用を着工の前提条件とした。この結果、東海IC - 飛島IC間 (6.1 km) のうち、新宝高架橋の用地買収費は大部分を愛知県が負担し、名港潮見ICの建設は地元施設として整備するという合意から、名古屋市と愛知県が全額負担のうえ、名古屋港管理組合が建設を担当した。また、飛島高架橋および金城高架橋の用地は、名古屋港管理組合が無償提供することになった。 こうした地元協力の甲斐あって、1987年(昭和62年)11月に、東海市 - 金城ふ頭間(3.9 km)が一般有料道路事業として事業許可が下り、これに建設省着工分の東海ICから名港東大橋付近までの1.1 km(のちに1.1 km区間は公団受け持ち化)を含めた合計5.0 kmの事業がスタートした。 当初でこそ1500億円とされた事業費も、その後の名港西大橋二期線の事業取り込みによって2050億円に増加し、これに物価上昇分を加味して2210億円が最終事業費となった。名港西大橋一期線(185億円)を加えると、僅か6.1 kmの短い区間に2395億円の巨費が投じられたことになる。
※この「資金計画と地元協力」の解説は、「名港トリトン」の解説の一部です。
「資金計画と地元協力」を含む「名港トリトン」の記事については、「名港トリトン」の概要を参照ください。
- 資金計画と地元協力のページへのリンク