資金調達と爆弾製造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 22:53 UTC 版)
「シガチョフ事件」の記事における「資金調達と爆弾製造」の解説
その後、シガチョフは資金不足を実感し、インターネットを通して日本の信者と連絡することに決めた。シガチョフは、ウィーンでキーレーンの元団長石井紳一郎と会見し、3万ドルを受け取り、モスクワに戻った。後には、さらに9万ドルの援助を受けている。 シガチョフは、日本への交通の便からウラジオストクをテロ準備の拠点に選び、2か所のアパートを借りた。ところが、ここで爆弾製造担当のシェフチェンコがメンバーから外れた。4基の起爆装置が残されていたが操作が複雑で、シェフチェンコ以外には取り扱えなかった。シガチョフは、インターネットを通して遠隔で電気パルスを発生できる電子装置の製造を注文した。シガチョフの注文を見た専門家はそれが爆弾製造用であることを見抜き、知り合いの沿海地方内務局の捜査官に通報した。 民警職員は2か所のアパートの住所を直ちに特定し踏み込んだが、アパートは平穏そのもので異常はなく、シガチョフは必要な書類を全て揃えていた。シガチョフは用心のため新しいアパートに転居し、全ての武器を運び出した。民警職員の家宅捜索は成果を収めなかったが、ウラジオストクへのオウム真理教信者出現の知らせは連邦保安庁(FSB)沿海地方局の耳にも入り、グループ構成員、その連絡および意図の特定に乗り出した。 その間、シガチョフは計画を立案し続け、インターネットを通してウラジオストク在住の2人のオウム信者、ヴォロノフとユルチュクと接触した。両者は日本のタイヤを売るビジネスに従事していた。シガチョフは両者に計画を打ち明け、2人ともグループに加わった。 2月〜3月、グループはアパートを変え、シガチョフはウボレヴィッチ通りに、残りのメンバーはトゥハチェフスカヤ通りのアパートに居住した。間もなく、アパートの近くのガレージ協同組合から倉庫を借り、調達した武器類を格納した。
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