西大橋
西大橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:41 UTC 版)
広島には戦前、「西大橋」と言う名の鉄筋コンクリート桁橋が存在した。ただ現在の広島西大橋の位置ではなく、現在旭橋の北東方向に位置する観音本町あたりにあり、山手川(右地図では己斐川表記)と福島川(右地図では川添川表記)が作る中州から東に向けて架かっていた。 なお、1880年(明治13年)に造られた地図『府県新設区ノ図広島』には存在しておらず1927年(昭和2年)作成の地図『広島都市計画地域指定参考図』には存在していること、さらに西詰に存在した市営屠畜場は1913年(大正3年)完成したことから、少なくとも大正期には西大橋は存在していた可能性が高い。 1945年(昭和20年)8月6日、原爆被災。爆心地から約2キロメートルの所に位置した。多少の損傷はあったが渡るには支障はなかったため、多くの避難者が市内からここと旭橋を渡り西の己斐に向けて逃げて行った。同年9月の枕崎台風で橋中央が陥没したことによりだんだん壊れていき、最終的には西詰部分だけが残った。 戦後、太田川放水路改修に伴い、西大橋付近は埋め立てられている。
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