車体締替
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/09 10:45 UTC 版)
創業期の車両は各社すべてベスティビュール(運転台の前面窓)つき、車体側面の窓下部分も絞り込みがなくストレートで、当時東京や大阪でも馬車鉄道の客車のデザインを脱しきれずに車体側面の裾を絞ったベスティビュールなしの車両が多数走っていた中では先進的でスマートな部類だった。 走り込んで経年劣化が進んだ車両は更新改造して使用した。車体は骨組みまですべて木製なので古くなると接合部が緩み歪みや反り、ねじれが生じてくる。程度が軽ければ部分修理だが重症ならば完全分解して「車体締替」と称する大修理を実施した。内容は旧車体からは屋根程度しか使用せず、他全てを新製部材に交換して下回りや電装品と組み合わせるというもので、一連の作業は地元の大工2人と整備員1人で車両1両の工期は40日程度である。車両メーカーではなく大工による製作で多分に現場処理でもあり、更新を重ねるに連れてしだいに原型を失い、機能優先で製作が容易な直線的なフォルムに変わっていった。併せて老朽化した電装品も交換し、運転台左右の入口外側に吊り下げ式ドア(デハ11など二重引き戸になった車両もあり)を取りつけて、曲がったトロリーポールを逆に曲げ直して完成。車体下半分を鉄板張りにした車両も存在する。 デハ11のみは東武鉄道の浅草工場で大栄車輌によりサンプル的に更新されたがこの1両にとどまった。一連の更新改造は昭和に入った頃から数両ずつ施工されたが、戦争で資材や人手が不足し中断を余儀なくされた。軍事輸送で酷使された車両は車体・機器とも劣悪な状態で車体は弓なりに反り、機械部分のボルトの増し締めや注油で当座をしのいでいた。運転台部分が垂れ下がってしまい、救助網が地面に引き擦られるので無理矢理上にねじ曲げて走っていた車両もある。1948年(昭和23年)から更新改造を再開し、高崎線の廃止の頃まで続いた。最終期に改造された車両は屋根もダブルルーフを廃し、シングルの張り上げ屋根に作り換えた。デハ11を含むシングルルーフのグループは名目上は更新改造だが元の車体の部材の使用はほぼゼロで、実質的には部品流用の新造車体である。 各車両とも創業期からの生き残りだが、上記の理由で最終的に原型そのままの車体は電動貨車を除き1両も存在しなかった。
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