東海道電気鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/18 19:03 UTC 版)
福澤桃介は、関連していた前記の日本電気鉄道と同じように、大正期に名古屋 - 東京間における東海道第二新線敷設を目論み、東海道電気鉄道の計画を立てた。東海道電気鉄道は1921年に出資者の安田善次郎が暗殺された事で1922年に既に有松線を開業していた愛知電気鉄道に合併。1926年に小坂井まで延長して豊川鉄道と連携して豊川までエリアを拡げ、1927年に豊橋線(現在の名古屋鉄道名古屋本線)を開通させた。しかし恐慌の影響で、遠三鉄道免許を利用した静岡県方面への延長は実現せず、東海道第二新線は一部区間の開業に止まった。
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