東海銀行傘下入り以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/10 10:19 UTC 版)
1970年(昭和45年)に日本銀行出身で十六銀行専務であった宇佐美鐵雄が社長に就任以来、端末機譲渡や人事交流等で、十六銀行と親密関係にあったが、その露骨なまでの子会社扱いに反発し、バブル期には積極的な融資攻勢を展開した。 宇佐美は20年間トップとして経営を担ったが、金融激戦地である岐阜や尾張地域にあって、積極経営は悉く裏目となり、取引先の中小事業者の経営悪化を受け、1990年代後半は、本店が隣接する大日本土木(2002年(平成14年)7月経営破綻)と共に、その去就は県下経済界の最大懸案事項となった。
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