左翼運動と新劇・映画とは? わかりやすく解説

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左翼運動と新劇・映画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/14 00:07 UTC 版)

吉沢京夫」の記事における「左翼運動と新劇・映画」の解説

1929年昭和4年)、東京府東京市現在の東京都)に生まれる。5歳年上の兄に「日本民話の会」の活動知られる吉沢和夫1924年 - )がいる。 第二次世界大戦初期旧制芝中学校(現:芝中学校・高等学校)に入学戦後同校卒業して1947年昭和22年4月旧制浦和高等学校(現:埼玉大学)に入学した当時2年上級在籍した川村善二郎によれば吉沢1年生だった当時すでに論客であり、西田幾多郎カール・マルクス著作援用して論じ学生自治会運動入っていったという。兄・和夫同年当時在籍した東京大学歴研開いた日本歴史講座」を川村と共に授業をさぼって聴講に出かけたこともあったという。1学年下大野明男によれば吉沢は「マルクス主義Y談とをゴチャマゼ語った」という。1949年昭和24年3月同校卒業後、同年4月京都大学進学する同学在籍中演劇仲間に、大島渚戸浦六宏らがおり、吉沢大島の評価としても「たいへんな理論派」だったという。 1953年昭和28年3月同学卒業すると、下村正夫瓜生忠夫主宰する劇団新演劇研究所」に入団する当時劇団には、小松方正1951年入団)、寺島幹夫1952年入団)らがいた。1958年昭和33年)に同劇団活動停止解散すると、吉沢は、翌1959年昭和34年3月劇団「新演」を結成して運動継承、同劇団参加した団員には寺島幹夫仲村秀生速水一郎らがいた。1960年昭和35年10月9日公開され大学時代旧友である大島渚監督作日本の夜と霧』に新演所属左近允宏、速水一郎とともに出演小山明子演じる「中山美佐子」の夫で学生運動活動家中山勝彦」役を演じる。同作公開4日目上映中止になり、吉沢は、速水同作劇化した戯曲を基に演出、翌1961年昭和36年6月15日 - 同27日新宿厚生年金会館公演打った同年10月10日TBSテレビ放送されテレビドラマ判事よ自らを裁け』(演出大山勝美)に左近速水とともに出演した1962年昭和37年)には、大島渚東映京都撮影所監督した天草四郎時貞』にも出演している。このころ寺島幹夫とともに新演を脱退、同劇団活動停止陥った。 新演の仲間であった寺島幹夫は、1963年昭和37年12月31日公開された『不倫つぐない』(製作新映フィルム配給日本シネマ前後から若松孝二監督作出演始め常連になっていたが、吉沢は、1965年昭和40年)、若松の『壁の中の秘事』の脚本初め参加日活曾根中生とともに大谷義明」名義クレジットされ、さらには寺島とともに同作出演した同作は、同年6月25日から西ベルリン開催され第15回ベルリン国際映画祭コンペティション作品選ばれ上映された。同作選出については映画祭側と映連日本映画製作者連盟)側でトラブルがあり、映連推した別の2作を映画祭予選落選とし、独立系若松プロダクションによる同作選んだおかげで映連今後映画祭には出品しない旨の通告をするに至った一方同作は、西ベルリン業者がエントリしたものであったが、結果的に唯一の日本作品として同映画祭上映され従来低俗」と断じられていた日本での独立系成人映画への注目高まったとされる。このとき、吉沢若松配給元の関東ムービー配給社社長桑原正衛とともに映画祭立ち会っている。若松によれば上映時に激しヤジ飛び翌日地元紙も酷評日本読売新聞にも「国辱と書かれたが、吉沢は「日本一論客」、若松の「すごいブレーン」として、同映画祭審査員であった草壁四郎らを相手作品の側の論陣張ったという。吉沢引き続き若松次作歪んだ関係』に寺島とともに出演している。同作脚本前作同様「大谷義明」とクレジットされているが、この共同名義吉沢参加したかどうか不明である。 『歪んだ関係』を配給した国映は、子会社日本放送映画持っており、吉沢同社製作した連続テレビアニメーション映画冒険少年シャダー』に関わり、「オーディオ演出」とクレジットされ、同作1967年昭和42年9月18日 - 1968年昭和43年3月16日放映された。日本放送映画はやがて国映資本離れ新倉雅美(別名・渡邊清)が代表を務め東京テレビ動画になり、同社製作し1971年昭和46年9月24日公開され劇場用映画『ヤスジのポルノラマ やっちまえ!!』では、吉沢も「企画」として参加土橋寿男とともにクレジットされた。同社はやがて解消され日本テレビ動画として同年11月改め設立され同社製作し不二家の時間放映されテレビアニメ映画アニメドキュメント ミュンヘンへの道』ではプロデューサー同じく不二家の時間放映されテレビアニメ映画モンシェリCoCo』ではプランナーそれぞれクレジットされた。

※この「左翼運動と新劇・映画」の解説は、「吉沢京夫」の解説の一部です。
「左翼運動と新劇・映画」を含む「吉沢京夫」の記事については、「吉沢京夫」の概要を参照ください。

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