日本放送映画とは? わかりやすく解説

日本放送映画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 07:11 UTC 版)

国映」の記事における「日本放送映画」の解説

詳細は「新倉雅美」および「日本テレビ動画」を参照 テレビアニメ黎明期国映自社出資して日本放送映画という関連会社1965年設立傘下置いた同年には日本放送映画内に日本テレビ専属アニメ制作部門発足し1966年には日放映動画スタジオ(以下日放映)として独立日放映が製作した戦え!オスパー』は日本テレビ初のテレビアニメシリーズとなったちなみに日本放送映画の登記上の代表者国映創業者と同じ矢元照雄であったが、矢元はアニメ事業に関して余り口を出さず実際アニメ制作岡本光輝(日放映製作の帯アニメとびだせ!バッチリ』では原作兼任)が指揮を執っていたという。 日放映には東京ムービーから移籍した新倉雅美岡本光輝を中心とするメンバーのほか、旧虫プロダクションスタッフ池野文雄岡迫亘弘正延宏三村野守美)と東映動画アニメーター多数在籍、後にガンダムシリーズなどを生みだした富野喜幸(現・富野由悠季)も籍を置いていた。また『戦え!オスパー』には後に漫画家として活動するジョージ秋山とりいかずよし作画として在籍していた。 日本放送映画は3本テレビアニメシリーズ制作して1968年活動停止廃業した。後に日放映動画スタジオ代表取締役であった新倉雅美出資元でもあった国映傘下離れて独立し日放メンバー一部再集結して東京テレビ動画国映資本関係はない)を立ち上げる劇場用作品『ヤスジのポルノラマ やっちまえ!!』映画事業失敗して再び解散その後後身会社日本テレビ動画(やはり国映資本関係はない)も『ドラえもん』放送中新倉失踪原因解散している。また日本放送映画・東京テレビ動画日本テレビ動画の3社は著作権の帰属元が未だにはっきりしていない。

※この「日本放送映画」の解説は、「国映」の解説の一部です。
「日本放送映画」を含む「国映」の記事については、「国映」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「日本放送映画」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日本放送映画」の関連用語

日本放送映画のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日本放送映画のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの国映 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS