日本放送協会入局
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1931年5月、JOBK(現:NHK大阪放送局)に入局、同年のJOBKの新人アナウンサーは高野を含めて6名。 日本初のスポーツ実況中継は、1927年8月13日、第13回全国中等学校優勝野球大会の札幌一中対青森師範の試合で魚谷忠が担当したが、スポーツ中継黎明期におけるスポーツアナウンサーは決定的な人材不足であり、この大会では魚谷が大会全21試合を1人で担当、その後もJOBKの野球中継担当アナウンサーは魚谷1人で、大会時のみJOAK(現:NHK放送センター)から応援のアナウンサーを呼ぶなど、4年経過しても状況は変わらなかった。 JOBKは1931年入局の新人アナウンサー6名のうちの半数にあたる、高野を含む3名を、その年8月に開催された第17回全国中等学校優勝野球大会から野球中継に起用、大幅にスポーツアナウンサーの体制が強化された。 高野は大会初日の試合を担当、自身のアナウンサーデビューとなる放送開始時に「時はまたもや、ここにめぐりきたって1年の明け暮れも、われ、人、ともに、ひたすら待ちかまえた8月13日、野球大会の日はついにきました」と緊張気味に発した。
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