東京テレビ動画時代
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1968年(昭和43年)日本放送映画の解散に伴い、出資元でもあった国映の傘下を離れて独立。新倉も元日放映のメンバーを再結集する形で、東京テレビ動画を狛江市に設立した。 東京テレビ動画は『冒険少年シャダー』を放映した時間帯を引き継ぐ形で『夕やけ番長』を制作した。以後も、東京テレビ動画は3年間、日本テレビと共同でアニメ番組を制作し、同局のアニメをほぼ独占した。1971年には水島新司の『男どアホウ!甲子園』の制作に際して新潟市にスタジオを新設している。 だが、日本テレビと東京テレビ動画の間に金銭的な不祥事が起こったとされ、東京テレビ動画は1971年春を最後に日本テレビから仕事を干される。東京テレビ動画に在籍していた岡迫亘弘の証言では、日本テレビプロデューサーの藤井賢祐が新倉からの贈与の見返りに仕事を与えていたが、それが日本テレビに発覚して東京テレビ動画への発注がなくなったという。新倉は映画配給会社の契約決定も未定なまま、谷岡ヤスジ原作の劇場アニメ形式のアダルトアニメ『ヤスジのポルノラマ やっちまえ!!』を社運を賭けて制作するが、興行は大失敗に終わり、東京テレビ動画は解散する。
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