左翼運動に参加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 08:09 UTC 版)
大学中退後、大田区の印刷工場に就職し、「警鐘」に加盟すると共に労働運動に従事する。この時代に川島豪によって、「警鐘」メンバーの永田洋子と一度「お見合い」をさせられたが、双方とも即座に断った。1968年3月、「警鐘」が日本共産党を除名された親中国派の結成した日本共産党左派神奈川県委員会(神奈川左派)に合流すると、坂口も神奈川左派の党員となり(但し、川島に自治会委員長時代に自治会活動をほとんどしていなかったことを咎められ、党員に承認されるのが他の「警鐘」メンバーよりも遅れた)、1969年4月に川島、M・Kらによって日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(京浜安保共闘)が立ち上げられるとこれに加わる。同年9月の愛知揆一外務大臣のソ連、アメリカ訪問阻止の羽田空港突入闘争に隊長として参加、海を泳ぎ滑走路に入り火炎瓶を投げ逮捕されるも保釈で出獄。求刑で懲役7年が出たことに動揺し、京浜安保共闘にも加わっていた永田洋子だったら7年待ってくれるとの想いで永田に求婚して事実婚となる。
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