川端との婚約――長良川にて
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「伊藤初代」の記事における「川端との婚約――長良川にて」の解説
川端は東京に戻ると、郷里の分家筋の川端岩次郎宛てに〈非常に一身上の重大なこと〉のための借金を申し込み、再び三明と岐阜へ行く旅費などを準備した。岩次郎は本家の康成を大事なたった1人の青年と心得ていたので、可能なかぎり臨時の出費に応じていた。 川端と三明は1921年(大正10年)10月7日の夜行列車で東京を発ち、翌10月8日に再び岐阜駅にやって来た。2人は駅前の濃陽館で朝食をとった後、加納町に向った。前回は三明だけ西方寺に行ったが、今度は2人一緒に寺を訪れた。名産の雨傘と岐阜提灯を作る家が多い田舎町の加納町にある西方寺には門がなく、壁塗りの手伝いをさせられている初代の姿を川端は見た。 名古屋方面の修学旅行のついで寄ったという口実で初代に挨拶した後、本堂に招き入れられた川端は、住職夫婦(青木覚音と高橋てい)と初対面したが、その養母の第一印象から〈嫌な感じ〉が伝わり、大きく逞しい和尚の養父の方も〈院政時代の山法師、雲突くばかりの大入道〉のような悪印象であった。青木住職は、川端が初代に出していた手紙(どうしても逃げ出したいなら電報を打てという内容)を開封して読んでいた。耳の遠い住職に、無口な川端は話の糸口がつかめず、闊達な三明の機転により囲碁で間をもたせて、昼からは柳ケ瀬の菊人形を見物したいという口実で何とか初代を外に連れ出すことができた。 加納天満宮の境内の路を抜け、川端は横を歩く初代を、〈体臭の微塵もないやうな娘だと感じた。病気のやうに蒼い。快活が底に沈んで、自分の奥の孤独をしじゆう見つめてゐるやうだ〉と思った。3人は前回と同じ長良川付近のみなと館へ向かったが、9月の台風で雨戸が壊れて休館していたため、川向うの稲葉郡長良村下鵜飼102-3の鍾秀館へ行った。 川端が結婚申し込みをする前に、三明が先ず初代に川端の気持ちを話しておくという打ち合わせにしていたが、三明はすでに西方寺で初代に、お前にとってこんないい話はない、2人はお似合いだと説得していたため、先に風呂に行った。川端はそれを知り、緊張しながら座敷の初代に話を切り出すと、初代はさっと青ざめた後に顔を赤くして、「わたくしには、申し上げることなんぞございません。貰つていただければ、わたくしは幸福ですわ」と答えた。 その〈幸福〉という言葉は〈唐突な驚き〉で川端の〈良心〉を飛び上らせた。初代は、自分の戸籍を西方寺に一旦移してから、貰って下されば嬉しいとも話し、川端は小説家として生計を立てていくことを伝えた。初代は風呂から上がって部屋に戻ると、手提げ袋を探って廊下に出ていった。化粧直しでもしているのかと廊下の方を川端がそっと見ると、初代は欄干の上に顔を押しあて、手で眼を抑えて静かに泣いていた。そして川端の方を見て赤い眼で微笑した。 夕食になると初代の緊張もほぐれて朗らかな美しい表情となった。やがて外が暗くなり窓から一緒に、長良川の川瀬をこちらに向ってくる鵜飼の篝火を見た。丙午生まれの初代は、「午が祟ってゐたんですね」と自分の生い立ちを振り返り、新しい未来に希望を持っていたようだった。この時、川端は22歳、初代は15歳であった。 篝火は早瀬を私達の心の灯を急ぐやうに近づいて、もう黒い船の形が見え始める、焔のゆらめきが見え始める、鵜匠が、中鵜使ひが、そして舟夫が見える。(中略)鵜匠は舳先に立つて十二羽に鵜の手縄を巧みに捌いてゐる。舳先の篝火は水を焼いて、宿の二階から鮎が見えるかと思はせる。そして、私は篝火をあかあかと抱いてゐる。焔の映つたみち子の顔をちらちら見てゐる。こんなに美しい顔はみち子の一生に二度とあるまい。 — 川端康成「篝火」 その晩、3人が鍾秀館を出て、電車で駅前の濃陽館に帰る車中、三明は川端と初代を2人だけにさせようと気を利かせ、途中1人柳ケ瀬で下車したが、川端は停車場で降りると初代を宿に寄せずに、すぐに車に乗せて西方寺へ帰した。2時間ほどして柳ケ瀬の遊廓から戻った三明は、川端が初代に何もしなかったのを知り、意外だという顔をした。当時の川端は女性の手も握ったことのない童貞であった。 翌日の10月9日、少し遅れたが約束通りに初代は宿にやって来て、3人は裁判所前の今沢町9番地の瀬古写真館に行き、最初は三明も入れて写し、それから川端と初代2人だけで婚約記念写真を撮った。着物の初代が手を広げた袂に隠しているのは、壁塗りで手が荒れていたためで、〈手を前に出すの大きく写るよ〉と川端が初代に小声で囁いたからであった。 川端は一日も早く初代を引き取り、その手をレモンやクリームを塗って治してやりたかった。その後、柳ケ瀬の岐阜菊花園の菊人形展を見に行き、料理屋で夕飯を食べた。店を出る際に下足番から川端の雨傘を受け取る初代に、川端は〈温かく寄り添はれた喜び〉を感じた。東京の自分の下宿に来ても何もしなくていい、子供のように遊んでいればいいんだよ、と川端が言うと、「そんなこと勿体なくて出来ませんわ」と初代は下を向いているような感じで川端を見上げながら微笑んでいた。 川端らと別れて初代が西方寺に戻ると、養母・高橋ていは、「東京に行きたくなったんだろう、一緒に行くがよいのになぜ戻って来た」と嫌味を言った。
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