川端との婚約――長良川にてとは? わかりやすく解説

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川端との婚約――長良川にて

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 09:36 UTC 版)

伊藤初代」の記事における「川端との婚約――長良川にて」の解説

川端東京に戻ると、郷里分家筋の川端次郎宛てに〈非常に一身上重大なこと〉のための借金申し込み、再び三明岐阜へ行く旅費などを準備した。岩次郎本家の康成を大事なたった1人青年心得ていたので、可能なかぎり臨時出費に応じていた。 川端三明1921年大正10年10月7日夜行列車東京発ち、翌10月8日に再び岐阜駅にやって来た。2人駅前の濃陽館で朝食をとった後、加納町に向った。前回三明だけ西方寺行ったが、今度2人一緒に寺を訪れた名産雨傘岐阜提灯作る家が多い田舎町加納町にある西方寺には門がなく、壁塗りの手伝いさせられている初代の姿を川端見た名古屋方面修学旅行のついで寄ったという口実初代挨拶した後、本堂招き入れられた川端は、住職夫婦青木覚音と高橋てい)と初対面したが、その養母第一印象から〈嫌な感じ〉が伝わり大きく逞しい和尚養父の方も〈院政時代山法師突くばかりの大入道のような悪印象であった青木住職は、川端初代出していた手紙(どうしても逃げ出したいなら電報打てという内容)を開封して読んでいた。耳の遠い住職に、無口な川端は話の糸口がつかめず、闊達な三明機転により囲碁で間をもたせて昼から柳ケ瀬菊人形見物したいという口実で何とか初代を外に連れ出すことができた。 加納天満宮境内の路を抜け川端は横を歩く初代を、〈体臭微塵もないやうな娘だと感じた病気のやうに蒼い快活が底に沈んで自分の奥の孤独をしじゆう見つめてゐるやうだ〉と思った。3人は前回と同じ長良川付近のみなと館へ向かったが、9月台風雨戸壊れて休館していたため、川向うの稲葉郡長良村下鵜飼102-3の鍾秀館へ行った川端結婚申し込みをする前に三明先ず初代川端気持ち話しておくという打ち合わせにしていたが、三明はすでに西方寺初代に、お前にとってこんないい話はない、2人お似合いだと説得していたため、先に風呂行った川端はそれを知り緊張しながら座敷初代に話を切り出すと、初代はさっと青ざめた後に顔を赤くして、「わたくしには、申し上げることなんぞございません。貰つていただければ、わたくしは幸福ですわ」と答えた。 その〈幸福〉という言葉は〈唐突な驚き〉で川端の〈良心〉を飛び上らせた。初代は、自分戸籍西方寺に一旦移してから、貰って下されば嬉しいとも話し川端小説家として生計立てていくことを伝えた初代風呂から上がって部屋に戻ると、手提げ袋探って廊下出ていった。化粧直しでもしているのかと廊下の方を川端がそっと見ると、初代欄干の上に顔を押しあて、手で眼を抑えて静かに泣いていた。そして川端の方を見て赤い眼で微笑した夕食になると初代緊張ほぐれて朗らかな美し表情となった。やがて外が暗くなり窓から一緒に長良川川瀬をこちらに向ってくる鵜飼篝火見た丙午生まれ初代は、「午が祟ってゐたんですね」と自分生い立ち振り返り新し未来希望持ってたようだった。この時、川端22歳初代15歳であった篝火早瀬私達の心の灯を急ぐやうに近づいて、もう黒い船の形が見え始める、焔のゆらめき見え始める、鵜匠が、中鵜使ひが、そして舟夫が見える。(中略鵜匠舳先に立つて十二羽にの手縄を巧みに捌いてゐる。舳先篝火焼いて、宿の二階から見えるかと思はせる。そして、私は篝火あかあかと抱いてゐる。焔の映つたみち子の顔をちらちら見てゐる。こんなに美しい顔はみち子の一生二度とあるまい。 — 川端康成篝火」 その晩、3人が鍾秀館を出て電車駅前の濃陽館に帰る車中三明川端初代2人だけにさせよう気を利かせ途中1人柳ケ瀬下車したが、川端停車場降りる初代を宿に寄せずに、すぐに車に乗せて西方寺帰した。2時間ほどして柳ケ瀬遊廓から戻った三明は、川端初代に何もしなかったのを知り意外だという顔をした。当時川端女性の手握ったことのない童貞であった翌日10月9日、少し遅れた約束通り初代は宿にやって来て、3人は裁判所前今沢町9番地瀬古写真館行き最初三明入れて写し、それから川端初代2人だけで婚約記念写真撮った着物初代手を広げた袂に隠しているのは、壁塗りで手が荒れていたためで、〈手を前に出すの大きく写るよ〉と川端初代小声囁いたからであった川端一日早く初代引き取りその手レモンクリーム塗って治してやりたかったその後柳ケ瀬岐阜菊花園の菊人形展を見に行き料理屋夕飯食べた。店を出る際に下足番から川端雨傘受け取初代に、川端は〈温かく寄り添はれた喜び〉を感じた東京自分下宿来ても何もしなくていい、子供のように遊んでいればいいんだよ、と川端が言うと、「そんなこと勿体なくて出来ませんわ」と初代は下を向いているような感じ川端見上げながら微笑んでいた。 川端らと別れて初代西方寺に戻ると、養母高橋ていは、「東京行きたくなったんだろう、一緒に行くがよいのになぜ戻って来た」と嫌味言った

※この「川端との婚約――長良川にて」の解説は、「伊藤初代」の解説の一部です。
「川端との婚約――長良川にて」を含む「伊藤初代」の記事については、「伊藤初代」の概要を参照ください。

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