川端の奔走――西方寺の反対
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「伊藤初代」の記事における「川端の奔走――西方寺の反対」の解説
川端が帰京すると、西方寺の住職・青木覚音から、初代との文通をやめてほしいという葉書が来た。それを知った初代はすぐに川端宛てに、「どうか悪く思はないで下さいませ。私は悲しくてなりません。(中略)かまいませんから手紙を下さい」と詫びて、「汽車のひびき」を聞くと淋しい、一緒に暮らす大正11年は「どんなに面白く暮すことでせう。それをたのしんでまつて居ります」と綴った。 幸福の絶頂の川端は、石濱金作や鈴木彦次郎にも初代との婚約を報告した。石濱や第6次『新思潮』同人から「独身送別会」を開いてもらった川端は、彼らの友情に感涙した。両親の顔の記憶もなく、〈ほんたうの子供心で暮したことがない〉生い立ちが、〈どんなに自分の心をゆがめてゐることか〉と日頃から思っていた川端は、幼い時から親と離れている初代に親近を感じ、彼女との〈結婚でその痛手を癒せると初めて自分の前に明るい人生の道が見えた喜び〉でいっぱいであった。 岐阜行へのお金を用立てた分家筋の川端岩次郎にも、川端は〈十六のほんの小娘〉を引き取って1、2年後に結婚する決意を報告し、〈身の置場のないやうな娘なので東京につれて来て、楽に私の思ふやうに教育してやりたく奔走してゐるのです〉と書き送った。そして、それに対する岩次郎からの返事(康成に生活費を毎月送金している親戚の秋岡家と黒田家が反対するのではないかという忠言)に対して礼を述べ、〈今更理性で動かし難くなつて居ります〉とし、無論常識から見て反対されるだろうが、〈誰に反対されても断じて遂行すると決心致して居ります故、時機を待つて居るのでございます〉と答えつつ、以下のように記した。 何も新らしい思想等の問題ではございません。大学の秀才で良家の令嬢と結婚したから幸福とも貧家の娘と結婚したから不孝だとも、それは一般的には云へず、一組一組の問題です。私は結婚を功利的に考へて居りません。(中略)この話がうまく行つた場合その女も私の家族として許して頂け、私の故里にも爪弾きされず迎へてやつて下されば、私はどんなに嬉しいでせう。 — 川端康成「川端岩次郎宛ての書簡」(大正10年10月25日付) しかし、初代が預けられている西方寺の住職・青木覚音と高橋ていは、初代と川端たちの付き合いを快く思わず毎日のように初代を叱りつけ、川端から来た手紙を見せろ、返事を書くなと禁じた。初代は早く東京にいる川端の元へ行くことを望み、近所の5歳年上の娘と一緒に東京へ逃げたいから旅費を送ってほしいと川端に頼んだが、川端には、他の娘が一緒に来るのは困るのと金の余裕もなく、自分から正々堂々と西方寺へ赴いて初代を連れて行きたいという気持ちがあったので、初代の意向に反対し、その旨を伝えた。初代はその返事を1921年(大正10年)10月23日に書き送った。 あなた様が私のやうな者を愛して下さいますのは、私にとつてどんなに幸福でせう。私は泣きます。私も今日まで沢山の男の方が手紙を下さいました。それには愛とか恋とか書いてありました。私はその返事をどう書いてやればいゝのか、私には分かりませんでした。私は私をみんなあなた様の心におまかせ致します。私のやうな者でもいつまでも愛して下さいませ。私は今日までに手紙に愛すると云ふことを書きましたのは、今日初めて書きました。その愛といふことが初めてわかりました。 — 伊藤初代「川端康成宛ての書簡」(大正10年10月23日付) 川端は11月中旬に岐阜の西方寺へ正式に初代を迎えに行くことを告げていたが、初代はその時に養母が阻止することを予想し、やはり11月10日頃に自分が川端の元へ家出した方がいいのではないかとして、自分が東京へ行くか、あなたが来てくれるかの指示を仰ぎ、「私はどのやうなことがありましてもお傍へ参らずには居られません。お手紙を待つて居ります」と書き送った。 川端はそれに返信したが、その後初代からの返事がすぐに来ないので焦燥した。川端が初代に宛てた、〈僕が十月の二十七日に出した手紙見てくれましたか〉と始まる未投函の手紙(約700字)が残されている。2014年(平成26年)に発見されたこの手紙には、〈君から返事がないので毎日毎日心配で心配で、ぢつとして居られない。手紙が君の手に渡らなかったのか、お寺に知れて叱られてゐるのか、返事するに困ることあるのか、もしかしたら病気ぢやないか、本当に病気ぢやないのかと思ふと夜も眠れない。とにかく早く東京に来るやうにして下さい。恋しくつて恋しくつて、早く会はないと僕は何も手につかない〉という恋情の思いが綴られていた。
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