川端の奔走――西方寺の反対とは? わかりやすく解説

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川端の奔走――西方寺の反対

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 09:36 UTC 版)

伊藤初代」の記事における「川端の奔走――西方寺の反対」の解説

川端帰京すると、西方寺住職青木覚音から、初代との文通をやめてほしいという葉書が来た。それを知った初代はすぐに川端宛てに、「どうか悪く思はないで下さいませ。私は悲しくてなりません。(中略かまいませんから手紙下さい」と詫びて、「汽車のひびき」を聞く淋しい一緒に暮らす大正11年は「どんなに面白く暮すことでせう。それをたのしんでまつて居ります」と綴った。 幸福の絶頂川端は、石濱金作鈴木彦次郎にも初代との婚約報告した石濱第6次新思潮同人から「独身送別会」を開いてもらった川端は、彼らの友情感涙した。両親の顔の記憶もなく、〈ほんたうの子供心で暮したとがない生い立ちが、〈どんなに自分の心をゆがめてゐることか〉と日頃から思っていた川端は、幼い時から親と離れている初代親近感じ、彼女との〈結婚でその痛手を癒せると初め自分前に明る人生の道が見えた喜び〉でいっぱいであった岐阜行へのお金用立てた分家筋の川端次郎にも、川端は〈十六のほんの小娘〉を引き取って1、2年後に結婚する決意報告し、〈身の置場のないやうな娘なので東京につれて来て楽に私の思ふやう教育してやりたく奔走してゐるのです〉と書き送った。そして、それに対する岩次郎からの返事(康成に生活費毎月送金している親戚の秋岡家と黒田家反対するのではないかという忠言に対して礼を述べ、〈今更理性動かし難くなつて居ります〉とし、無論常識から見て反対されるだろうが、〈誰に反対されても断じて遂行する決心致して居ります故、時機を待つて居るのでございます〉と答えつつ、以下のように記した。 何も新らしい思想等の問題ではございません。大学秀才良家令嬢結婚したから幸福とも貧家の娘と結婚したから不孝だとも、それは一般的には云へず、一組一組問題です。私は結婚功利的に考へて居りません。(中略)この話がうまく行つた場合その女も私の家族として許して頂け、私の故里にも爪弾きされず迎へてやつて下されば、私はどんなに嬉しいでせう。 — 川端康成川端次郎宛て書簡」(大正10年10月25日付) しかし、初代預けられている西方寺住職青木覚音と高橋ていは、初代川端たちの付き合い快く思わず毎日のように初代叱りつけ、川端から来た手紙見せろ返事を書くなと禁じた。初代早く東京にいる川端元へ行くことを望み近所5歳年上の娘と一緒に東京へ逃げたいから旅費送ってほしいと川端頼んだが、川端には、他の娘が一緒に来るのは困るのと金余裕もなく、自分から正々堂々西方寺赴いて初代連れて行きたいという気持ちがあったので、初代意向反対し、その旨伝えた初代はその返事1921年大正10年10月23日書き送ったあなた様が私のやうな者を愛して下さいますのは、私にとつてどんなに幸福でせう。私は泣きます。私も今日まで沢山の男の方が手紙下さいました。それには愛とか恋とか書いてありました。私はその返事をどう書いてやればいゝのか、私には分かりませんでした私は私をみんなあなた様の心におまかせ致します。私のやうな者でもいつまで愛して下さいませ。私は今日までに手紙愛すると云ふことを書きましたのは、今日初め書きました。その愛といふことが初めわかりました。 — 伊藤初代川端康成宛て書簡」(大正10年10月23日付) 川端11月中旬岐阜西方寺正式に初代迎えに行くことを告げていたが、初代その時養母阻止することを予想し、やはり11月10日頃に自分川端元へ家出した方がいいのではないかとして、自分東京へ行くか、あなたが来てくれるかの指示仰ぎ、「私はどのやうなことがありましてもお傍へ参らずには居られません。お手紙を待つて居りますと書き送った川端はそれに返信したが、その後初代からの返事がすぐに来ないので焦燥した。川端初代宛てた、〈僕が十月二十七日出した手紙見てくれましたか〉と始まる未投函の手紙(約700字)が残されている。2014年平成26年)に発見されこの手紙には、〈君から返事がないので毎日毎日心配で心配で、ぢつとして居られない手紙が君の手に渡らなかったのか、お寺知れて叱られてゐるのか、返事するに困ることあるのか、もしかしたら病気ぢやないか、本当に病気ぢやないのかと思ふと夜も眠れない。とにかく早く東京に来るやうにして下さい恋しくつて恋しくつて、早く会はないと僕は何も手につかない〉という恋情思い綴られていた。

※この「川端の奔走――西方寺の反対」の解説は、「伊藤初代」の解説の一部です。
「川端の奔走――西方寺の反対」を含む「伊藤初代」の記事については、「伊藤初代」の概要を参照ください。

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