川端の掌編小説とは? わかりやすく解説

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川端の掌編小説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:06 UTC 版)

掌の小説」の記事における「川端の掌編小説」の解説

初期の頃35編は1926年大正15年6月15日金星堂より刊行処女作品集『感情装飾』に初収録された。その後1930年昭和5年4月7日新潮社より刊行の『僕の標本室』には、新作加えた47編が収録され1938年昭和13年7月19日改造社より刊行の『川端康成選集第1巻』には77編が収録された。 これらの掌編小説に関して川端1938年昭和13年時点選集では、以下のように語っている。 私の著作のうちで、最もなつかしく、最も愛し今も尚最も多くの人に贈りたい思ふのは、実にこれらの掌の小説である。この巻の作品大半二十代書いた多く文学者若い頃に詩を書くが、私は詩の代り掌の小説書いたのであつたらう。無理にこしらへた作もあるけれども、またおのづから流れ出たよい作も少くない。今日から見ると、この巻を「僕の標本室」とするには不満はあつても、若い日の詩精神はかなり生きてゐると思ふ。 — 川端康成あとがき」(『川端康成選集第1巻 掌の小説』) しかし12年後出され全集ではこの評価覆し、「それらの標本多くを私は今好まない」、「私の歩み間違つてゐたやうに思はれる」と自己嫌悪述べている。 この点に関して吉村貞司は、作家過去自作対し世の賞讃背いて自己嫌悪過去幼さ恥じることもあるだろうが、この『掌の小説』の中には川端あらゆる要素含まれるとし、「複雑な反射作り出す目もあやな光のシンファオニイ」に喩えられるような、「作者としてのよろこびも、悲しみも、悩みも、嫌悪反射する多彩さがあるとしている。 大正末期には掌編小説流行し岡田三郎武野藤介なども書いていたが永続せず、ひとり川端のみが、「洗練された技法を必要とするこの形式によって、奇術師よばれるほどの才能の花」を開かせたとされ、島木健作からは、「心が洗はれるやうな清々しさのなかに、美しく懐かしく喜ばしく悲しい人生を眼のあたりに感じる」と高く評価されている。

※この「川端の掌編小説」の解説は、「掌の小説」の解説の一部です。
「川端の掌編小説」を含む「掌の小説」の記事については、「掌の小説」の概要を参照ください。

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