巌谷国士とは? わかりやすく解説

巖谷國士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/07 15:38 UTC 版)

巖谷 國士
人物情報
生誕 (1943-01-07) 1943年1月7日(82歳)
日本東京市芝区
出身校 東京大学
子供 巖谷睦月(美術史家)
学問
研究分野 フランス文学
研究機関 明治学院大学
公式サイト
巖谷國士(X)
テンプレートを表示

巖谷 國士(いわや くにお、略字表記:巌谷 国士、1943年1月7日 - )は、日本のフランス文学者評論家随筆家写真家小説家明治学院大学名誉教授。

経歴

出生から修学期

1943年、国文学者・巖谷榮二の長男として東京市芝区(現:東京都港区高輪で生まれた[1]。幼少時から文学美術漫画映画建築園芸などに親しみ、東京の町々を巡った。区立中、都立高、神奈川県立湘南高等学校[2]を経て、1961年に東京大学文科2類に入学。

東京大学在学中は世田谷区松原に住み、大学闘争同人誌活動に精を出した。扇田昭彦藤井貞和らと親交をむすび、たまたま隣家に住んだ池田満寿夫富岡多恵子とも交流。1963年、瀧口修造、ついで澁澤龍彦と出会い、その後長く親交は続いた。それをきっかけにシュルレアリスムを生涯のテーマときめ、東京大学文学部フランス語フランス文学科に進んだ。卒業論文『アンドレ・ブルトン序説』を書いて卒業。

東京大学大学院文学研究科へ進学[3]し、また、シュルレアリスム研究者・批評家としてデビューし、詩や美術の雑誌にエッセーを発表しはじめた。修士論文には『シャルル・フーリエ序説』を書き、博士課程へ進学[3]。1968年から1970年にかけて、ワルドベルグ『シュルレアリスム』、ブルトン『ナジャ』、フーリエ『四運動の理論』の翻訳を刊行した。この頃、石井恭二、松山俊太郎加藤郁乎種村季弘野中ユリ谷川晃一加納光於土方巽唐十郎、金井久美子、金井美恵子らを知る。映画輸入会社の資料翻訳、非常勤講師などで自活していた。1970年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程を中退。

フランス文学研究者として

1970年、明治学院大学文学部フランス文学科の専任講師となった[3]。この時期は、創刊間もない中央公論社『』で「評伝アンドレ・ブルトン」を不定期連載。他にシュルレアリスムの文学・美術をめぐるエッセーや、フーリエとユートピア思想・オカルト思想などについての論考を発表。1974年、シュルレアリスム100年を記念する桑原茂夫の企画で、中西夏之、野中ユリ、高梨豊の美術と写真による協力を得て、ブルトン『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』初版の全訳を刊行した。

人文書院の『アンドレ・ブルトン集成』と河出書房新社の「骰子の7の目 シュルレアリスムと画家たち」シリーズでは、監修者の瀧口修造を補佐し、白水社の「小説のシュルレアリスム」シリーズでは企画に加わるとともに、多くの巻の解説を書く。これらのシリーズのうち、ブルトン『失われた足跡』、パスロン『ルネ・マグリット』、イヴシッチ『トワイヤン』、ブルトン『ナジャ』初版本、ルネ・ドーマルの小説『類推の山』などの翻訳を担当。ほかにマンスールの小説集『充ち足りた死者たち』や、エルンストの『百頭女』をはじめとするコラージュ・ロマン三部作と『絵画の彼岸』などの訳書を上梓している。

専門の著書としては、1976年に『幻視者たち 宇宙論的考察』と『シュルレアリスムと芸術』を、1977年に『ナジャ論』と『シュルレアリスムと小説』を刊行。雑誌『ユリイカ』別冊「シュルレアリスム」「ダダ・シュルレアリスム」の責任編集と執筆、また「遊びの百科全書」シリーズ『暗号通信』の監修と執筆などもしている。

文学・映画・演劇・漫画などの批評書としては、1979年に『宇宙模型としての書物』と『映画の一季節』を刊行し、前者では稲垣足穂花田清輝手塚治虫萩尾望都など、後者ではSF映画や女性映画日活ロマンポルノメリエスからブニュエルオーソン・ウェルズの作品まで、また少女マンガアニメーションなどもとりあげた。

1979年、パリ滞在中に瀧口修造の訃報に接し、この先人についての論考や回想を執筆しはじめる。中西夏之、岡崎和郎、池田龍雄、合田佐和子赤瀬川原平秋山祐徳太子高梨豊、またパリで知りあった堀内誠一、平沢淑子らのアーティストと交流。

1980年代には『シュルレアリストたち 眼と不可思議』のほか、訳書『ダリ全集』『マッタ・形態学的神話I』などを刊行。その間に朝日新聞の「土曜の手帖」欄で匿名時評を展開し、1985年から3年間は同紙の書評委員をつとめる。

1987年夏に澁澤龍彦が没し、故人との共著『裸婦の中の裸婦』、作家論『澁澤龍彦考』『澁澤龍彦の時空』などを関連著作を刊行。出口裕弘種村季弘松山俊太郎の編集委員と『澁澤龍彦全集』『澁澤龍彦翻訳全集』刊行に向け、会合を重ね、多数の巻に書誌解題を執筆。別巻の年譜や旅の日記、談話録などを校訂・構成し、種々の関連書も手がけた。なお種村とは、1991年にバルトルシャイティス『アベラシオン』を共訳した。

世界・日本各地への旅行を重ね、新しい紀行文学の分野をひらく。1991年の『ヨーロッパの不思議な町』以来、『アジアの不思議な町』『日本の不思議な宿』『フランスの不思議な町』『地中海の不思議な島』など。また1995年の『ヨーロッパ 100の庭園』以来、『イタリア 庭園の旅』『フランス 庭園の旅』を刊行し、近年におよぶ。これらの紀行書に用いた写真を中心に、個展や講演会が四度ひらかれ、自著以外でも写真が掲載・使用されるようになる。また『反ユートピアの旅』や『都市の魔法』のようなエッセー集では、旅や都市のテーマを広い視野にひろげている。

シュルレアリスム関係では1996年に著した『シュルレアリスムとは何か』のほか、『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』の増補新訳決定版と、『ナジャ』の著者改訂版の新訳決定版を岩波文庫に収録。ブルトン晩年の大著『シュルレアリスムと絵画』『魔術的芸術』を監修し、後者は谷川渥、星埜守之、鈴木雅雄、永井敦子ら若い研究者たちと共訳する。さらに塚原史との共訳でゲールの『ダダ・シュルレアリスム』を刊行。2004年に全国55美術館を巡回した『マン・レイ「私は謎だ」』展では、展覧会監修とカタログの編集・執筆を手がけた。

その間、のちに備前焼の人間国宝となる伊勢崎惇、版画家の山下清澄、油彩画家の河原朝雄、オブジェ作家の桑原弘明、絵本作家の中江嘉夫と上野紀子の夫妻、パリに住む画家・オブジェ作家の大月雄二郎、日記作家の武田百合子らと出会い、2004年には彼らをふくむ多くのアーティストとの交友の結実でもあった批評と回想の書、『封印された星 瀧口修造と日本のアーティストたち』を上梓する。

2007年、「澁澤龍彦 没後20年記念展」を監修し、カタログを兼ねた『澁澤龍彦 幻想美術館』を刊行。こうした展覧会の折などによく講演をしたが、テーマは瀧口修造マン・レイ澁澤龍彦のほか、シュルレアリスムの文学と美術、ミロアルプから旅、都市、庭園まで、また岡本太郎小泉八雲植田正治島崎藤村にも及んでいる。小泉八雲については小泉凡佐野史郎とのシンポジウムや公開対談をし、2006年の植田正治写真集『童暦』のコロタイプ印刷による限定出版に際しては、別刷の冊子のテクスト「植田正治とメルヘン」を著した。

近年もアーティストとの出会いや交友の結果、さまざまな著作が生まれつつある。桑原弘明とは、アートスペース美蕾樹で写真とオブジェのコラボレーション展「パティオの快楽」を試みたのち、2005年にはスコープの写真を用いたメルヘン『スコープ少年の不思議な旅』を共作。翌年のメルヘン『扉の国のチコ』は、上野紀子の作画・中江嘉夫の構成により、瀧口修造にささげた絵本である。2008年には『旅の仲間 澁澤龍彦堀内誠一往復書簡集』を編集し、もうひとりの「旅の仲間」として解説・脚注を書いた。

2009年、数年前に出会ったドイツ人の女性画家アンティエ・グメルスの画集『メルヘン・透視・錬金術 アンティエ・グメルスの旅』を著し、2010年には、コラージュ作家・パフォーマー上原誠一郎のレーゲンスブルク美術館での展覧会のために、カタログ序文を寄せた。さらに、高崎俊夫の編集によって、チャールズ・ロートンやフランジュ、フェリーニタルコフスキーアンゲロプロスグリモーゼーマンなどを扱うエッセー集『映画 幻想の季節』が出ている。

2011年、定年退職[1]

研究内容・業績

専門領域は主に3つある。

  1. 第一に詩人アンドレ・ブルトンと彼の創始したシュルレアリスム
  2. 第二に、思想家シャルル・フーリエとその文学世界。
  3. 第三に、詩人シャルル・ペローを中心にメルヘン(御伽話)。

これらに通底するのは、いずれも夢や驚異、綺想と繋がる、レアリスムを超えた「超現実」的な領域であることである[4]

批評家、エッセイスト、講演家としての活動は、文学、美術、映画、写真、漫画、メルヘンのほか、旅、都市、庭園、温泉、食物などの領域にわたり、さまざまな著書がある。紀行作家、旅行写真家としては、日本全県と世界全州60数か国をめぐり、ヨーロッパ諸国、地中海、オリエント世界、アジアと日本各地についての著述や講演が多い。また庭園の紀行も、著書の一分野をなしている。それぞれに自身の撮影した写真を用い、その写真による個展も行なわれている。

近年では創作メルヘンも発表しており、専門・批評書やエッセー集のほか、展覧会の監修やカタログの編集執筆、また芸術、文化、地域などについての講演の仕事が増えている。

家族・親族

  • 父:巖谷榮二は国文学者。
  • 祖父:巖谷小波(季雄)はメルヘン作家・児童文学者。
  • 曾祖父:巖谷一六(脩)は書家・医師・貴族院議員。
  • 叔父:藤林益三は最高裁長官。
  • 叔父:巖谷大四は文芸評論家。
  • 従兄:泉周雄は国立第二病院長。
  • 従兄:橋口稔は英文学者で東大名誉教授。
  • 母方の叔父:渡米した画家・彫刻家の吉村二三生
  • 子:巖谷睦月は美術史家で東北学院大准教授[5]

著作

単著
  • 『幻視者たち:宇宙論的考察』河出書房新社 1976
    • 新版 1991年
    • オンデマンド版 2003
  • 『シュルレアリスムと芸術』河出書房新社 1976
  • 『ナジャ論』白水社 1977
  • 『宇宙模型としての書物』青土社 1979
  • 『映画の一季節』青土社 1979
  • 『シュルレアリスムと小説』白水社 1979
  • 『トワイヤン』アートスペース美薔樹 1983
  • ドロテア・タニング』アートスペース美薔樹 1984
  • 『シュルレアリストたち 眼と不可思議』青土社 1986
  • 『ヨーロッパの不思議な町』筑摩書房 1990
  • 『澁澤龍彦考』(河出書房新社) 1990
  • 『アジアの不思議な町』筑摩書房 1992、ちくま文庫 2000
  • 反ユートピアの旅』紀伊國屋書店 1992
  • 『ヨーロッパ 夢の町を歩く』筑摩書房 1993
  • 『都市の魔法』(人文書院) 1994
  • 『日本の不思議な宿』平凡社 1995、中公文庫 1999
  • 『シュルレアリスムとは何か:超現実的講義』今裕子編、メタローグ 1996
  • 『澁澤龍彦の時空』河出書房新社 1998
  • 『フランスの不思議な町』筑摩書房 1998
  • 『地中海の不思議な島』筑摩書房 2000
  • 『封印された星 瀧口修造と日本のアーティストたち』平凡社 2004
  • 『映画 幻想の季節』清流出版 2010 

図版・監修

  • 『ヨーロッパ100の庭園』平凡社コロナ・ブックス 1998
  • 『オリエント:夢幻紀行』河出書房新社(ふくろうの本) 1999
  • 『イタリア:庭園の旅 100の悦楽と不思議』平凡社コロナ・ブックス 2000
  • 『ギリシア:歴史・神話紀行』(河出書房新社、ふくろうの本 2004
  • 『フランス:庭園の旅 150の優雅と不思議』平凡社コロナ・ブックス 2006
  • 『澁澤龍彦:幻想美術館』平凡社 2007
  • 『メルヘン・透視・錬金術:アンティエ・グメルスの旅』河出書房新社 2009
  • 『森と芸術』平凡社 2011
  • 『〈遊ぶ〉シュルレアリスム』平凡社コロナ・ブックス 2013
  • 『旅と芸術:発見・驚異・夢想』平凡社 2015
  • マン・レイと女性たち』平凡社 2021

共著

  1. コレクション1 『澁澤龍彦考 / 略伝と回想』2017
  2. コレクション2 『澁澤龍彦の時空 / エロティシズムと旅』
  3. コレクション3 『澁澤龍彦 幻想美術館 / 澁澤龍彦と「旅」の仲間』
  4. コレクション4 『澁澤龍彦を語る / 澁澤龍彦と書物の世界』 2017
  5. コレクション5 『回想の澁澤龍彦(抄) / 澁澤龍彦を読む』 2017

編著・解説

  • 『シュルレアリスム』(編集執筆、ユリイカ臨時増刊総特集) 1976
  • 『暗号通信』(監修執筆、日本ブリタニカ、遊びの百科全書) 1980
  • 『ダダ・シュルレアリスム』(編集執筆、ユリイカ臨時増刊総特集) 1981
  • 『山下清澄 ノスタルジア』(編集執筆、美術出版社) 1985
  • 『ピエール・モリニエ』(監修執筆、アートスペース美蕾樹) 1986
  • 『澁澤龍彦文学館4 ユートピアの箱』(編、筑摩書房) 1990
  • 『澁澤龍彦文学館11 シュルレアリスムの箱』(編、筑摩書房) 1990
  • 『澁澤龍彦 滞欧日記』(編、河出書房新社) 1994、河出文庫 1999
  • 『コレクション 瀧口修造』全13巻・別巻1(みすず書房 1994 - 1998[8]
  • 『澁澤龍彦全集』全22巻・別巻2巻(河出書房新社) 1994 - 1996[9]
  • 『澁澤龍彦空想美術館』(編、平凡社) 1994
  • 『澁澤龍彦空想博物館』(編、平凡社) 1995
  • 『澁澤龍彦翻訳全集』全15巻・別巻1巻(河出書房新社) 1996 - 1998[10]
  • 『澁澤龍彦事典』(高橋睦郎, 種村季弘共編・執筆、河出書房新社) 1996
  • 『シュルレアリスム革命』(編集執筆、朝日新聞社、世界の文学) 2000
  • 『「魔術的」映画史の試み』(監修執筆、明治学院大学フランス文学科) 2000、再版 2005
  • 『マン・レイ「私は謎だ。」展覧会図録』(監修・執筆、アートプランニングレイ) 2004 - 2005
同掲エッセー Marion Meyer 《Person to person》の翻訳
  • 『書物の宇宙誌 澁澤龍彦蔵書目録』(松山俊太郎, 東雅夫共同編集、国書刊行会) 2006
  • 『澁澤龍彦 幻想文学館 展覧会図録』(監修・執筆、アートプランニングレイ) 2007
  • 『旅の仲間 澁澤龍彦|堀内誠一往復書簡集』(編集執筆、晶文社) 2008
  • 『澁澤龍彦 ドラコニアの地平』(菅野昭正共同監修、平凡社) 2017[11]

訳書

外部リンク

脚注

  1. ^ a b 2023年度 明治学院プラチナカレッジ (第3シリーズ)”. 明治学院大学. 2025年1月23日閲覧。
  2. ^ https://x.com/papi188920/status/1509107858595483648
  3. ^ a b c 教授としての自己紹介”. www.meijigakuin.ac.jp. 明治学院大学. 2025年1月23日閲覧。
  4. ^ 研究者・著述家としての自己紹介”. www.meijigakuin.ac.jp. 明治学院大学. 2025年1月23日閲覧。
  5. ^ ルーチョ・フォンターナ《空間概念 期待》──視点を変えて見る「巖谷睦月」:アート・アーカイブ探求|美術館・アート情報 artscape”. 美術館・アート情報 artscape. 2025年1月23日閲覧。
  6. ^ 3巻目までエッセー、他は対談集
  7. ^ 講演・エッセイ集
  8. ^ 大岡信, 武満徹, 東野芳明, 鶴岡善久と編集委員
  9. ^ 種村季弘, 出口裕弘, 松山俊太郎と編集委員
  10. ^ 種村季弘, 出口裕弘, 松山俊太郎と編集委員
  11. ^ 世田谷文学館での没後30周年の回顧展(2017年10月-12月)の図録
  12. ^ 抜粋版
  13. ^ 全面改訳版

巖谷國士(フランス文学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 09:36 UTC 版)

小泉八雲」の記事における「巖谷國士(フランス文学者)」の解説

巖谷自著オデュッセウスの旅」(『作家の旅』平凡社)で「移り住んだ土地列挙しただけでも、興味ぶかい事実思いあたる。島を好んだということだ琉球諸島まで航海する計画まで…」「ハーン生涯旅程から知られるもうひとつ事実は、ロンドンパリニューヨークには居つかず、いわゆる辺境選んで住んだということである」などと小泉について評している。

※この「巖谷國士(フランス文学者)」の解説は、「小泉八雲」の解説の一部です。
「巖谷國士(フランス文学者)」を含む「小泉八雲」の記事については、「小泉八雲」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「巌谷国士」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「巌谷国士」の関連用語

巌谷国士のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



巌谷国士のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの巖谷國士 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの小泉八雲 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS