山ン寺の伝承とは? わかりやすく解説

山ン寺の伝承

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 03:40 UTC 版)

山ン寺遺跡」の記事における「山ン寺の伝承」の解説

松浦源氏創成期の山ン寺については、松浦家世伝御厨公伝(宛陵寺旧記実相院旧記引用波多系図本宗御厨系譜はじめ、松浦党諸家文書等それぞれ伝承がある。また宛陵寺記その他松浦党祖関係の伝書地元、旧上・下松浦地方松浦党末孫家々にも伝承説話残っている。各説多少違いがあるが、大筋はほぼ一致している。それらを総合して要約すると大体次の通りである。 松浦党の祖源太夫判官久は嵯峨天皇後裔渡辺綱四世の孫で、平安後期延久元年1069年宇野御厨荘の検校検非違使補され本国摂津国渡辺荘から松浦下向し、松浦市今福町半島梶谷城築いた。その職と所領上・下松浦郡唐津伊万里佐世保平戸を含む)彼杵五島壱岐杵島一部東松地先諸島一部伊万里湾地先諸島におよび、九州西北海上強固な基礎をきずいた。 直夫人は、夫を山内葬り総持寺をその菩提寺とし生涯父と夫の霊を弔った。直夫妻侍女達は剃髪して夫人従った。直夫人の墓は直の墓の近くにある。総持寺創建いらいの真言密教寺で荘内所領地各地末寺があった。末寺統轄する本寺なので総持寺よばれた鎌倉初期、直の六男囲は山代浦の地頭補され飯盛城所領した。囲から十二代の裔山代虎王丸山代孫七郎貞、のち鍋島喜左衛門茂貞)は天正4年1576年龍造寺隆信飯盛城攻め落され、山ン寺砦に退いて抗戦したが、遂に降伏した虎王丸天正15年1587年豊臣秀吉の命で鍋島直茂付され、同17年1589年山代東部召しあげられ長島芦原杵島郡橋下地区)に移封された。貞は家臣17人、足軽50人を引具し父祖地山代を去り一族山代六郎左衛門はじめ家臣百七家は山代西部の貞の領地残留した。囲統治いらい三百九十二年目であった。この残され山代郷西部も慶長時代小城藩支配下入った山代東部には天正17年田尻鑑種入部した。鑑種はもと筑後鷹尾城主、のち隆信の臣となった勇将である。 不山代町楠久在の松浦党一族鴨川家出身である。 総持寺山代家の庇護失って混乱した。不はみずから総持寺復興に当り、旧山代家臣はじめ郷民の協力得て宗廟守り新たに禅門道場たらしめたので、山ン寺中興の師と仰がれた。 不文禄の役1592年)に際し豊臣秀吉の命に背いて寺鐘供出一山の僧の朝鮮従軍拒否した。「大治久安中一古いらい幾百千の霊を済度した宗廟寺宝みだりに戦陣の鐘とするのは孝の道に背き修業中の未熟な雲水戦陣付するのは仏の道に背く」との宗教的信念貫いたのだという。 秀吉怒って従軍の命に従わない末寺もろとも総持寺取りつぶし寺院堂宇をすべて焼き払ったとも解体して名護屋陣屋用材としたともいう。不身を以て有田唐船城にかくれ、寺鐘は船で名護屋運ばれる途中伊万里湾内金井崎水道沈没した慶長3年1598年秀吉が死ぬと朝鮮の役終った。旧山代家の家臣たちを中心に郷中庶民たちは山寺復興志し山祇神社焼跡祠堂再建し、もとの通り十二社権現と久・直夫妻清三代の霊を合祀して血族結縁拠り所とした。いらい山神社は、東西松浦郷の氏神とされ、再び真言密教巡拝地となり、文珠原山文珠菩薩あわせて修験者入峰ともなった寛政初年1748年)不の徳を慕って山ン寺の廃墟訪れた一禅人海老庵澄江は旧総持寺本堂跡に釈迦堂を建て庵を結び終の住み家とした。感激した川内部落人々が、寺鐘鐘楼寄進した。この鐘は大東亜戦争供出された。 澄江没後山ン寺は住待する者も絶えて無住の庵となった総持寺廃滅250年間山寺は時代陰に埋没した平戸藩士景峻が主命によって藩公の父祖発祥の地山寺調査したのは弘化2年1846年8月である。 景峻は山代遺臣の子黒川六郎左衛門墓守山口団蔵案内始祖源直の墓を確認し埋もれていた直夫人の墓を探し出した

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