梶谷城とは? わかりやすく解説

梶谷城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/22 01:29 UTC 版)

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梶谷城
長崎県
梶谷城跡
城郭構造 山城
天守構造 不明
築城主 松浦久
築城年 延久元年(1069年)?、嘉保2年(1095年)?、久安元年(1145年)?
主な城主 松浦直、松浦氏
廃城年 慶長20年(1615年)頃?
遺構 伝・天守台、石塁、石垣
指定文化財 長崎県史跡
位置 北緯33度21分08.3秒 東経129度47分17.9秒 / 北緯33.352306度 東経129.788306度 / 33.352306; 129.788306座標: 北緯33度21分08.3秒 東経129度47分17.9秒 / 北緯33.352306度 東経129.788306度 / 33.352306; 129.788306
地図
梶谷城
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梶谷城(かじやじょう)は、肥前国松浦郡(現長崎県松浦市今福町東免)にあった日本の城

概要

松浦市今福の集落から北東方向にある城山(じょうやま、標高197メートル)の山頂部に築かれた山城。本丸跡からは玄界灘から伊万里湾まで一望できる。

城跡は「松浦党梶谷城跡」として長崎県指定史跡に指定されている。

歴史

松浦党を率いた松浦氏の祖源久が築城者とされている。松浦氏に伝わる「松浦家世伝」によれば、延久元年(1069年)に久が京都より松浦郡に下向してきた際に築城されたと伝えられる。このほか、嘉保2年(1095年)あるいは久安元年(1145年)等、築城年代には異説があるが、少なくとも平安時代末期に築城されてその後長期間にわたり使用されたものと考えられている。

戦国時代に入り、平戸松浦氏の勢力が拡大すると、松浦宗家も平戸松浦氏に従属することとなった。

安土桃山時代末期の文禄の役に際して、松浦鎮信によって改修され、織豊系城郭となった。

城郭

城山の山頂部分を削って本丸が作られ、南側に物見台、北側に二の丸が置かれた。遺構としては櫓台や井戸の跡、野面積みの石垣等がある。山の西麓には「千人枡」と称される居館跡があり、石壁・石塁・門等が残されている。

アクセス

周辺

  • 善福寺 - 今福町仏坂免にある真言宗の寺院。梶谷城に在った松浦直(丹後守)が、正平10年(1355年)に寄進した鰐口が県有形文化財に指定されている。
  • 文禄の役松浦家供養塔 - 源久の末裔たる宗家松浦氏の当主で今福領主となり、文禄の役において戦没した松浦定(丹後守)主従の供養塔。

関連項目

参考文献

  • 「長崎県の歴史散歩」(長崎県高等学校教育研究会地歴公民部歴史分科会編、山川出版社刊)




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