対馬宗家倭館関係資料とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 対馬宗家倭館関係資料の意味・解説 

対馬宗家倭館関係資料

主名称: 対馬宗家倭館関係資料
指定番号 150
枝番 0
指定年月日 2007.06.08(平成19.06.08)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書
員数 1593点
時代区分 江戸
年代
検索年代
解説文: 江戸時代朝鮮国との外交・貿易独占的に管掌した対馬宗家が、釜山倭館作成・保存した一括資料である。倭館朝鮮国内の日本人居留地域であり、日本人使節接待する「客館」や、貿易を行う「商館」、さらには外交実務を行う「在外公館としての機能有した十五世紀初頭にはその存在確認されるが、本資料延宝六年(一六七八)に釜山浦の設置され草梁倭館時期のもので、明治六年(一八七三)に明治政府がその機能接収するまでの約二〇年間に及ぶ。
 朝鮮国江戸時代において唯一国家間対等な外交関係結んだであった。しかし幕府外交実務直接には行わず中世以来朝鮮外交・貿易中心的役割担った対馬宗家にこれを専管させた。宗家その実務を推進するため、倭館多く役人派遣し記録作成させている。
 その中核をなす『館守日記』(『毎日記』)は倭館統括する館守の記録で、貞享四年(一六八七)から明治三年までほぼ連続して現存する。館守役拝命した日から任期終えて倭館を立つ日まで、船舶・人・書簡往来や、実務的外交折衝貿易業務実状朝鮮国中国など外国情報密貿易をはじめ倭館起こった種々の出来事広範に記録しており、倭館実態把握の上欠かせない資料である。『館守日記』の検索供する『惣目録』や、項目別索引の『分類事考』、『館守日記』と関係資料に基づく項目別編纂物分類事大綱』もまとまって現存しており、先例重んじる実務上の必要から『館守日記』が頻繁に用いられたことがうかがえる
 また外交交渉官である裁判さいはん】の業務記録裁判記録』は、朝鮮国担当官との交渉具体像を伝える。
 外交文書査察あたった倭館東向寺僧侶は、朝鮮国からもたらされる外交文書内容文字体裁点検などのほか、対馬藩役人朝鮮国側と取り交わす書簡査察にもあたった。『両国往復書謄』は東向寺僧侶による公式な外交文書記録である。
 また、東館修理記録』など倭館増改築記録は、往事倭館具体的な構造日朝共同による建築作業様子伝える。
資料群は、明治六年に外務省倭館接収するに伴い外務省記録課の管轄となったその後明治二十七年には国立国会図書館前身である帝国図書館移管され、現在に至っている。なお、明治四十五年に対馬宗家菩提寺養玉院から購入され同家の旧江戸藩邸保管になる貿易関係記録あわせて伝存しており、ともに伝来した経緯と内容関連性からあわせて保存する
 対馬宗家倭館関係資料は、近世のほぼ全期間にわたるわが国朝鮮国との外交・貿易最前線実像を今に伝えまとまった資料であり、対外関係史上等に貴重な学術資料である。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「対馬宗家倭館関係資料」の関連用語

対馬宗家倭館関係資料のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



対馬宗家倭館関係資料のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2024 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS