宇佐神宮造営図
主名称: | 宇佐神宮造営図 |
指定番号: | 58 |
枝番: | 0 |
指定年月日: | 1990.06.29(平成2.06.29) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 歴史資料 |
ト書: | |
員数: | 3幅 |
時代区分: | 鎌倉・室町 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 宇佐神宮は、古代以来鎮護国家の神社として厚く崇敬されていたが、中世には度重なる火災にあっている。境内全域に及ぶものは、元暦元年(一一八四)、延慶二年(一三〇九)、大永三年(一五二三)などであったが、そのつど社殿の復興が計画され、今回指定の三種の指図【さしず】類はいずれもそれにかかわるものと考えられる。当宮は上宮、下宮、若宮及び弥勒寺等からなり、元慶三年(八七九)以来三三年ごとに式年遷宮を行ったが、その際には正殿と同一規模の仮殿をまず造営し、正殿の神体等をすべて遷した後に正殿の造立にとりかかった。 指図類のうち、宇佐宮上宮仮殿地判【じはん】指図は、上宮の中の御殿、脇殿、北辰殿、申殿を中心に若宮を加えて描いている。各建物の平面は、ヘラ引きした上に柱・扉口・柱筋を朱書きし、雨落などは墨書きし、他にも黄土を塗った部分がある。各建物には名称、規模が書き入れられ、規模は桁行、梁間の間数と各一間の尺寸によって示され、本図の縮尺が一〇〇分の一であることが判明する。図中の墨書により、本図は仮殿の指図であることが明らかであるが、その左端の識語には、本図が文治年間以来代々大大工職にあった(小山田)貞遠、国貞、為貞、貞行、貞世と伝来したが、虫損のため貞世の代に新写したとある。貞世は嘉元三年(一三〇五)頃から大大工であり、作図の技法や書風よりみてもこの図は鎌倉時代末期のものと認められる。 他に宇佐宮並弥勒寺造営指図は、守護大内氏によって応永二十五年(一四一八)以降になされた復興の際の造営計画図とみられる。また、宇佐宮上宮造営指図は、紙背の墨書によって天文四年(一五三五)七月の一の御殿造営の時のものであることが判明する。 このように、これらの指図は鎌倉時代から室町時代の宇佐宮・弥勒寺の建物の規模や配置、あるいは当時の作図技法等を知ることができ、中世建築史研究の上で価値が高い。 |
歴史資料: | 天球儀 天球儀 天草四郎時貞関係資料 宇佐神宮造営図 安政二年日蘭条約書 宗存版木活字 対馬宗家倭館関係資料 |
- 宇佐神宮造営図のページへのリンク