安政の大獄
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詳細は「安政の大獄」を参照 安政5年(1858年)7月6日、朝廷から幕府に条約調印の経緯について御三家、大老の内から1名を上京させて説明せよとの沙汰書が届くが、幕府は先の不時登城に対する水戸・尾張両家への処分と大老の公務繁多を理由にこれを拝辞し、代わりに老中・間部詮勝と新任(再任)の京都所司代・酒井忠義を上京させることした。 直弼の対応に憤った薩摩藩主・島津斉彬は藩兵2,500人を引き連れて上京し、御所を守護して幕府の無勅許調印を糺す勅許を得ようと計画したが、藩兵軍事調練中に飲んだ水に当り急逝した。 失意の内にある攘夷派の再起を図るべく、薩摩藩士とともに水戸藩士らが朝廷に働きかけた結果、孝明天皇は安政5年(1858年)8月8日、戊午の密勅を幕府の他、諸藩に回送するようにとの添書き付きで水戸藩にも下して幕府政治を非難した。これは朝廷が幕府を無視して一藩に全国諸藩を取りまとめるよう指示を出すという江戸時代の幕藩体制を無視した行為であった。 前代未聞の朝廷の政治関与に、幕府は厳しい態度で取り調べを進める。長野義言からの報告により、直弼は密勅降下の首謀者を梅田雲浜と断じて、所司代・酒井忠義に捕縛させた。 さらに、間部詮勝に命じて密勅に関与した人物の摘発や証言の収集を進める中で、水戸藩京都留守居役・鵜飼吉左衛門から家老・安島帯刀、奥祐筆・茅根伊与之助及び薩摩藩士・日下部伊三治に宛てた密書を押収して、薩摩藩兵の武力による倒幕など反体制的な行為の計画が露見し、多数の志士(橋本左内、吉田松陰、頼三樹三郎など)や宮家、堂上家の家臣(小林良典、飯田忠彦など)が捕縛され、彼らは12月5日から翌年2月25日にかけて、3度に分けて江戸へ護送された。 この間に直弼は水戸藩に密勅の返納を命じる朝旨を仰ぐよう間部に命じ、間部による工作が功を奏して、安政6年(1859年)2月6日、度重なる幕府の非礼に対する天皇の怒りは氷解したとして密勅返納を命ずる勅書が幕府に下った。 2月17日から4月22日にかけて、戊午の密勅に関与した公卿・皇族への処分が順次行われ、青蓮院宮尊融入道親王、三条実万、二条斉敬らが隠居、落飾、謹慎などに処された。 8月27日、徳川斉昭に永蟄居、徳川慶篤に差控、徳川慶喜に隠居・謹慎、水戸藩連枝の3藩主に譴責の処分が下った。また、これに関連して11月23日に忍藩主・松平忠国に養嗣子・忠矩の離籍が命じられた。 志士たちへの処分は8月27日、10月7日、10月27日の3度に分けて行われ、切腹、死罪、遠島、重追放などの処分が下った。松平慶永の回顧録『逸事史補』には「橋本左内らについて、評定所から『流罪や追放、永蟄居が妥当』との意見書が大老掃部頭に提出されたが、数日後に『死刑』の附札が付いた書類が戻ってきた」とあり、厳罰の背景に直弼の意向があったことがうかがわれる。 処罰は幕臣にもおよび、旧一橋派の岩瀬忠震や川路聖謨、水野忠徳、永井尚志らが慶喜擁立に奔走していたことを罪に問われ、免職などの処分を受けた。閣内でも直弼の厳罰方針に反対した老中の太田資始、久世広周、寺社奉行・板倉勝静らが免職された。さらに京都から江戸に戻った後、直弼と政治方針をめぐって対立を深めていた間部詮勝も罷免された。
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安政の大獄
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藩主就任後の慶勝は、内政では倹約政策を主とした藩政改革を行う。他方、外国船の来航が相次ぐ情勢下にあって、徳川斉昭や薩摩藩主の島津斉彬、宇和島藩主の伊達宗城らの感化もあり、対外強硬論を幕府に繰り返し主張して、老中阿部正弘らの不興を買うことにもなった。ただし、慶勝においては御三家筆頭としての責任感も強く、幕政批判は幕府を補翼する意識の裏返しでもあった。 安政5年(1858年)の日米修好通商条約の調印に際しては、慶勝は徳川斉昭・慶篤父子と共に江戸城へ不時登城し、大老・井伊直弼に抗議した。この行為が咎められ、井伊政権による反対派の弾圧(安政の大獄)により隠居謹慎を命じられ、代わって弟の茂徳が15代藩主となる。 この頃から、欧米から伝来した写真術に興味を持ち、写真を撮影している(当時は全てのプロセスを自分で行わなければならなかった)。撮影した写真の中には明治3年(1870年)に取り壊された名古屋城二の丸御殿、幕末の広島城下、江戸の尾張藩下屋敷などの写真が1,000点近く残されており、歴史的史料価値の高い写真も数多い。
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