大戦前期とは? わかりやすく解説

大戦前期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 14:55 UTC 版)

ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)」の記事における「大戦前期」の解説

シュリーフェンプラン」に基づいてドイツ軍西部戦線主戦場とし、ベルギー通過してフランス進撃した一方東部ではロシア帝国陸軍(ru)が迅速に動員準備完了させて東プロイセン攻め込んできたが、パウル・フォン・ヒンデンブルク大将エーリヒ・ルーデンドルフ少将率い第8軍がこれを撃退したタンネンベルクの戦い)。しかしこの際参謀総長小モルトケは二個軍団西部戦線から引き抜いて東部戦線送った結果シュリーフェンプラン」が求め西部戦線右翼強化うまくいなくなり9月5日から9月10日にかけての連合軍反撃第一次マルヌ会戦)においてドイツ軍侵攻停止してしまった。ドイツ迅速な勝利を約束するはずだった「シュリーフェンプラン」は早々に挫折したヴィルヘルム2世小モルトケ更迭し、代わって1914年11月3日付けプロイセン陸相エーリッヒ・フォン・ファルケンハイン参謀総長任じたファルケンハインさしあたってドイツ軍をヴェルダン・リーム・ノヨンの線まで後退させた。ファルケンハイン宰相ベートマンに対して「この戦争が望ましい結果に終わる事は疑いないが、それがいつ、どこで、どんな形で達成されるかは現状全く予想できない」と述べている。 1914年クリスマスまでには西部戦線膠着状態となった当時兵器水準では防御のほうが攻撃勝ったため、大量戦死者発生する塹壕戦などの消耗戦になった戦線がなかなか動かなかったため、ベルギー大部分と北フランス主要な工業地帯大戦ドイツ軍占領し続けたヒンデンブルクルーデンドルフ指揮する東部戦線苦戦していた。オーストリア軍レンベルク戦い(de)でロシア軍敗れてガリツィア方面危機陥ったポーランドでもロシア軍中央同盟国ドイツ・オーストリア)の一進一退膠着状態続いたヒンデンブルクルーデンドルフ東部戦線増強求めたが、参謀総長ファルケンハインはなおもシュリーフェンプランの伸翼作戦実行すれば西部戦線打開できる信じていたので応じなかった。ヴィルヘルム2世東部戦線増強派と西部戦線増強派の論争見守るけだったが、1915年7月2日ポーゼンでの御前会議ではファルケンハイン支持して東部戦線での大作戦に反対した。 開戦後イギリスドイツ経済締め上げるために海上封鎖開始した戦争1年目ドイツ物資の面で十分に準備していた事もあって大きな食糧困難は発生しなかったが、年を経るごとにドイツ食糧事情悪化することは明らかだったドイツイギリス食糧事情悪化させようイギリス周辺海域の船を全て潜水艦Uボートによって沈めるという「無制限潜水艦作戦」を開始した。しかしこれはアメリカ国民アメリカ船籍巻き添えを食うとして中立国アメリカ合衆国反発招いたアメリカ抗議に応じてドイツ政府1915年8月今後は無警告客船撃沈しないことを約束した。ついで9月にはアメリカ船舶攻撃を受ける可能性減少させるために英仏海峡やその西側からUボート引き上げた無制限潜水艦作戦は特に宰相ベートマンが反対していた。ベートマンはアメリカ強国認識しアメリカ参戦だけは回避せねばならない考えていた。対して軍部アメリカ軍事小国過小評価していた。海軍大臣ティルピッツはなおも無制限潜水艦作戦勝利切り札であると主張し続けたため、ヴィルヘルム2世宰相ベートマンの進言受け入れて1916年3月ティルピッツ解任した。 3B政策ドイツ人軍事顧問採用などかねてから親独的だったオスマン帝国1914年10月29日ロシア軍攻撃開始し中央同盟国側(ドイツ側)で参戦した。これは戦争前期ドイツ外交成功一つであったオスマン参戦ブルガリア王国重要性増し連合国陣営中央同盟国陣営そろってブルガリア自陣営に引きこもうと必死になったが、結局ブルガリア1915年9月ドイツ同盟して中央同盟国側で参戦した1915年4月末にイープルにおいてドイツ軍初め新兵器毒ガス塩素ガス)を戦場大量使用した連合軍直ち塩素ガス毒ガス兵器として使用するようになった以降陣営での毒ガス兵器使用恒常化し、ホスゲンガス、ジホスゲンガス、そしてついには無色無臭マスタードガス開発され戦場地獄化した一次大戦において両陣営使用した砲弾4分の1毒ガス詰めた化学砲弾であったといわれている。 1915年末からファルケンハイン本格的に西部戦線重点移し1916年2月ヴェルダンの戦い開始した1915年東部戦線前線視察訪れたヴィルヘルム2世出迎え第11軍司令官アウグスト・フォン・マッケンゼン元帥1916年ヴェルダン近く野戦病院入院する戦傷者見舞ヴィルヘルム2世中央同盟国の4君主。左からドイツ皇帝ヴィルヘルム2世オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世オスマン帝国皇帝メフメト5世ブルガリア国王フェルディナント

※この「大戦前期」の解説は、「ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)」の解説の一部です。
「大戦前期」を含む「ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)」の記事については、「ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)」の概要を参照ください。

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