大学教授と晩年とは? わかりやすく解説

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大学教授と晩年(1949-1967)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 03:35 UTC 版)

野口源三郎」の記事における「大学教授と晩年(1949-1967)」の解説

1949年昭和24年4月15日日本体育指導者連盟(現・日本学校体育研究連合会)の副会長となり、同年8月31日には、東京高師教授兼任東京教育大学教授就任する。翌1950年昭和25年11月24日には東京教育大学体育学部長兼東京体育専門学校校長就任するも、定年のため1951年昭和26年3月31日どちらも退官している。翌日4月1日より埼玉大学教育学部教授に、5月21日より順天堂大学体育学部教授兼任したスポーツマンであった野口この頃現役時代と同じ体重60 kg維持しており、テニスも十分できる体力維持しており、新たな職場での勤務決意新たにした。 埼玉大教授としては教育学部長を1953年昭和28年9月1日から務めたほか、附属小・中学校の拡張尽力し第3回関東甲信越大学体育大会開催のため浦和市(現・さいたま市)から土地無償借用し針ヶ谷陸上競技場新設することに奔走した順天堂大学では1952年昭和27年)に陸上競技部創部して初代部長就任1959年昭和34年4月30日には大学評議員就任した陸上競技団体では、1952年昭和27年)に日本学生陸上競技連合顧問1955年昭和30年6月10日東京陸上競技協会顧問1957年昭和32年1月日本学生陸上競技連合副会長および関東学生陸上競技連盟会長就任している。 1957年昭和32年9月1日埼玉大学教授退官順天堂大学教授専任となる。同年埼玉県寄付寄せ、この資金元手に「野口記念体育賞」が設定された。順天堂大学教授時代にもスポーツ陸上競技専門家としてスポーツ人口調委員会委員長(1958年昭和33年〕)、日本陸上競技連盟オリンピック東京大会競手強化本部顧問1961年昭和36年〕)、東京都スポーツ振興審議会会長1962年昭和37年〕)、第22回国民体育大会埼玉県実行委員会顧問1965年昭和40年〕)を歴任母校東京高師同窓会である茗渓会では5代目理事長務めた最晩年研究日本陸上競技史を学校別に明らかにようとするもので、第1弾として取り組んだのは札幌農学校(現・北海道大学であった野口札幌市足しげく通って貴重な資料多数収集した1966年昭和41年1月大谷武一亡くなり遺体対面した際に「たった1人体育先輩なくしてしまった。次は私ですね」と発言した。翌2月前立腺疾患のため順天堂大学医学部附属順天堂医院入院手術成功して5月関東学生陸上競技対校選手権大会スタンド観戦成績低迷期にあった東京教育大陸上競技部赴いて選手激励する演説をするまでに回復した。しかし5月下旬には軽い脳軟化症脳梗塞)の発作出たため順天堂医院に再入院、床に伏してからは協力者助力得て我が国に於ける初期陸上競技に関する研究(1) 北海道大学の巻」という論文をまとめた。入院初期の頃思考力記憶力とも正常で、逆に見舞い客を激励していたが、末期には意識朦朧とし、研究を気にかけて「北海道」・「奈良岡」とうわ言つぶやいていた。 1967年昭和42年3月16日午前11時、脳軟化症のため逝去78歳であった日本のスポーツ界では1967年昭和42年)に入ってから津島壽一高石真五郎唐沢俊樹重鎮相次いで亡くなっていた。葬儀肌寒いの中自宅行われ順天堂大学による大学葬が青山葬儀所3月28日営まれた。戒名は白黎院転輪法浩日源居士野口生前従四位を受位していたが、死後従三位に昇位した

※この「大学教授と晩年(1949-1967)」の解説は、「野口源三郎」の解説の一部です。
「大学教授と晩年(1949-1967)」を含む「野口源三郎」の記事については、「野口源三郎」の概要を参照ください。

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