単線での架設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 02:44 UTC 版)
「荒川橋梁 (東北本線)」の記事における「単線での架設」の解説
東京から高崎への鉄道は、川口と熊谷で工区を分割し、第二工区の川口 - 熊谷間が先行して着工されていた。これに引き続いて第一工区の上野 - 川口間は1882年(明治15年)10月下旬に着工した。この当時、この橋が架設された現場付近では普段水が流れているのは幅約330尺(約100メートル)ほどで、北側は水流から約650尺(約197メートル)離れたところに高さ約10尺(約3メートル)の堤防があり、南側は約6町(約654メートル)でこれと同程度の高さとなる。この時点では荒川と新河岸川にははっきりした区別がなく、赤羽方の橋台は後の橋梁に比べると約100メートル赤羽側に入り込んだ位置にあった。当初は木製の仮橋を架設し、1883年(明治16年)7月26日に上野 - 川口間が竣功して、7月28日から上野 - 熊谷間の営業を開始した。この時の木製仮橋は、本設橋梁より下流側(東側)に架設されていた。 1883年(明治16年)5月から本設の橋梁にも着手した。橋梁は品川起点13マイル5チェーン(約21キロメートル)から13マイル51チェーン(約21.9キロメートル)までの範囲にあり、上野への路線と品川への路線の赤羽における分岐点からは27チェーン(約540メートル)の位置にあった。設計はお雇い外国人のチャールズ・ポーナルによるもので、小川勝五郎が請け負って建設した。また橋の建設に使用した煉瓦は高島嘉右衛門が請け負って、川口付近に煉瓦製造所を設置して焼き、できあがったものの中から最上級品を選んで納入した。 橋梁は全長3,032フィート1.5インチ(約924.2メートル)あり、そのうち平時の水流に架かる部分に4連の全長100フィート(約30.48メートル)の錬鉄製ポニーワーレン式トラス桁が、トラス桁南側に38連、北に10連の合計48連の全長54フィート4.5インチ(約16.6メートル)のプレートガーダー(桁橋)が架設された。 トラス桁の橋脚の基礎は、2フィート(約0.6メートル)の厚さで煉瓦を巻いて造った直径12フィート(約3.7メートル)の井筒を19フィート(約5.8メートル)離して2つ、約50フィート(約15.2メートル)まで沈降させて、内部にコンクリートを充填して建設した。この2つの井筒基礎の間に20フィート(約6.1メートル)の半円を描くように煉瓦でアーチを組み立て、高さ22フィート9インチ(約6.9メートル)、幅38フィート(約11.6メートル)、頂部での厚さ7フィート(約2.1メートル)の橋脚を建設した。プレートガーダー部の橋脚合計46基は、下部が幅12フィート6インチ(約3.8メートル)、厚さ5フィート3インチ(約1.6メートル)あり、その上部は幅12フィート(約3.7メートル)、厚さ4フィート10.5インチ(約1.5メートル)、高さ平均15フィート(約4.6メートル)の構造となっていた。橋台も煉瓦製で、基礎にコンクリートを使用している。 上部構造については、トラス桁は幅2フィート2インチ(約0.6メートル)、高さ10フィート4インチ(約3.1メートル)あり、横から見ると二等辺三角形が17個並んだ形になっている。このトラス桁の対を15フィート(約4.6メートル)離して配置している。 橋梁上の線路は平坦で、南側で半径30チェーン(約600メートル)の曲線を描いて橋に進入してくる関係で、橋の最初の2連の桁には曲線が入っている。また当初は単線で建設されていたが、将来的な複線化を計画していた関係で、両端の橋台と中央のトラス桁の橋脚は最初から複線分の幅が用意されており、またトラス桁の両側のプレートガーダー部には半径20チェーン(約400メートル)の曲線をS字に入れて複線用のトラス桁の幅に対応するようになっていた。平均水面から桁の下部までは22フィート(約6.7メートル)あった。 トラス主桁はイギリスのアンドリュー・ハンディサイド製のもので、部品を船舶で運び込んで現地で組み立てた。これ以外の橋桁類は新橋鉄道局製作場において製作した。橋桁の組み立て作業は、新橋 - 横浜間建設の際に六郷川橋梁建設に使用したゴライアスクレーンを用いた。また現場にはドコービル式の工事軌道が敷設されて資材運搬に用いられた。 1883年(明治16年)7月と10月には洪水が発生したが特に障害となることはなく、1884年(明治17年)1月には現地にトラス桁が到着し、4月には橋脚が完成して5月にトラス桁の架設が完了した。しかしプレートガーダーが到着していなかったため6月から工事が中断し、12月になってようやく工事が再開されて、1885年(明治18年)2月13日に橋が完成し、2月14日に機関車の試運転を行ったうえで、2月16日に供用を開始した。工期は21か月で、このうち5か月間は工事を休止していた。トラス桁の費用が24,000円、桁橋のプレートガーダーの費用が68,640円、その他の物品の費用が63,500円、人件費が38,700円の、総工費194,840円であった。
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