創作戯曲
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「フランク・マクギネス」の記事における「創作戯曲」の解説
「一番はじめにしたのは作曲だった。ポール・マッカートニー、ジョニ・ミッチェルのようでありたかった」 と語っている。しかしながら彼は何らかの「とてもしっかりとしたもの」を書くことを望み、戯曲を書くか小説を書くかでコイントスをした結果、戯曲を書くことになった。彼がプラットフォーム・グループ・シアター(Platform Group Theatre)という劇団に書いた一幕物の戯曲である『The Glass God』の初演は1982年、ダブリンのルルドホールシアター(Lourdes Hall Theatre)であった。これはスラプネルの共同のタイトルに示されるように一幕物の芝居の3つのうちの1つであった。彼の最初に書いた戯曲であり、ドニゴールの小さな町で余剰人員の解雇という問題に直面した女性労働者のグループを扱った『シャツ工場の女たち』も1982年が初演である。マクギネスは「自分の家族の女性」に着想を得たと話している。批評ではカトリックのイメージを示す「水曜から日曜までの時間枠」に焦点を当て、「キリスト受難劇」と評している。 2番目の作品である『ソンムに向かって行進するアルスターの息子たちに照覧あれ』の初演は1985年であった。第一次世界大戦中のプロテスタントの兵士の一団について描いたこの戯曲は当初政治的意図はなかった。しかし彼によると、元は「大きな物語」に着想を得ていたという。この戯曲は「幽霊の芝居」と表され、「共同体が幽霊のように描かれている」といわれた。 『イノセンス』は画家のカラヴァッジョを扱った作品である。カラヴァッジョの作品である『イサクの犠牲』からとっている。イサクの犠牲は父親が信仰する神の試練に従い息子を殺そうとする逸話である。カラヴァッジョの絵では、身代わりとなる羊がその犠牲の様子を見ており、人間の残酷さにぎょっとし、純真さを打ち砕かれる。マクギネスは逸話の最後に子供の代わりに犠牲となるであろう「純真な羊」から着想を得ている。彼はこの物語の中で、「カラバッジョだけが羊を覚えているだろう」と語っている。 彼の次の戯曲である『カルタゴ人』の初演は1989年であった。この作品は1972年に北アイルランドで起こった血の日曜日事件に関するものである。1972年、ロンドンデリーで抑留に反対する行進に加わった非武装市民に対してイギリス軍兵士が銃撃を行い、14人もの犠牲者を出した。マクギネスは「この作品のキーワードは「もし」という言葉である」と語っている。この作品は当初、「1980年代から90年代にわたってアイルランドの劇場で上演されてきた、古代ギリシャ悲劇を翻訳し、脚色した素体の中に位置づけられる」といわれていた。 『私を見守ってくれる人』の初演は1992年で、1986年に起きたレバノン人質事件を題材としている。多くの批評において、マクギネスの作品にはイプセンの影響が色濃く残っていて、作家自身により確証された何かがあると指摘されており、マクギネスは「シェイクスピアなど他の影響もある」と語っている。『私を見守ってくれる人』の構成はこの影響が引き金となっている。マクギネス自身の言葉の中で、「ユニコーンの角を掴み、何が起こるかを見ようと決めた」とある。マクギネスは「今まで誰もしてこなかった方法で、5幕のシェイクスピア風芝居を構成したい」と宣言している。彼はこれらを「大きなけだもの」のようだと表し、今までの彼の作品の中で、「この作品は生き続けるだろうということに薄々気付いている」と付け加えている。 『ドリー・ウエストの台所』は1999年初演で、第二次世界大戦中のドニゴール県、バンクラナを舞台としている。この時は婉曲的に、アイルランド共和国が危機に瀕していると表された時だった。アメリカ軍のバンクラナの町への到来は、軍事的駐留による侵略だけでなく「性的な侵略」であり、兵士が町に大きな影響を及ぼしたとマクギネスは語っている。しかしこの戯曲の主たるテーマは「私の人生の中で大きな悲しみは、母の死であった」ということである。マクギネスが語る通り、母親が死んだら「子供は成長しなければならない」ために、この物語の心臓部となっている。。 『Gates of Gold』は2002年初演であり、ダブリンのゲイト座の記念祭向けに作られたものである。ゲイト座は互いに生活と仕事を共にするパートナーであるマイケル・マクリアモアとヒルトン・エドワーズによって設立された。マクギネスは「同性結婚、同性愛、協力関係のよき祝福としての戯曲を書きたくなった」と語っている。彼はノラ・マクギネスによって描かれたマクリモアのデッサンを所持していて、「『シャツ工場の女たち』の経験を生かした」作品としたため、これを演じる役者は絶え間なくマクギネスの人生の中にいる。この戯曲はマクリアモアが死ぬその日を描いているが、それはマクギネスが「暗く奇怪な何か」、また予期しづらいものを描きたいと考えたからである。 2007年初演の『There Came a Gipsy Riding』は、「取り戻せはしないが、共に生きているということがわかる」と結論づけられる、「子を喪うというこれ以上ない悲しみの中でどう生き延びるか」という問いを立てた。 批評においては、「戦時中の中産階級の、三人の子供のうち一人が自殺してしまった家族を複雑に吟味した濃厚な作品」であり、「印象的な作品」であると表されている。 2007年初演の『The Hanging Gardens』はアルツハイマー病、それに罹患した人とその人の周りにおける壊滅的な影響についての戯曲である。マクギネスは「観衆に笑ってほしいし、ショックを受けてほしい。彼らの予想するものを超えたなにかを届けようとしている。」と語っている。ある評論家はこの作品について「我々をつかみ、感動させ、警告している」と評している。
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