一幕物へのこだわり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:33 UTC 版)
シングの作品から多くを学んだ菊池寛は、作者の力量が試される一幕物の戯曲に惹かれ、登場人物の台詞の中の〈予備説明(エキスポジション)〉が力強く、極めて自然であるシングの『海に騎りゆく者たち』(Riders to the Sea)を〈近代劇中屈指の一幕物〉〈近代劇の名一幕物〉と絶賛した。そして自身が創作する戯曲もできるだけ幕数を増やさないよう心がけ、一幕物の戯曲を理想としていた。 なるべくムダな台辞を云はせるな、なるべくムダな情景を描くなと云ふことは、戯曲創作の一番よい心掛であらう。戯曲その物が、人生の相(すがた)のエッセンスである。人生をコンデンスすることである。その意味で、短くかければかけるほど、これに越したことはないのである。 — 菊池寛「戯曲研究 十、幕数」 幕数の多い長編の戯曲でも劇的な事件が展開されるのはほぼ最後の幕であり、それまでの幕は境遇説明や性格描写などの準備的な場面の〈非劇的な部分〉が主であると菊池は説明しながら、〈大抵の題材は、作者に充分な手腕があれば、一幕に盛り得るもの〉だとし、戯曲を劇場で見物する立場からも一幕物の方が近代の繁忙な生活に適していると考えた。 ある主人公なり、また一団の人々の生活に於て、真に劇的な事件と云ふことは、さう度々起りはしない。我々の生活を考へて見ても、劇的な事件は、半生に一度一生に二三度しか起らない。そんな意味で、劇的な事件は、稀にホンの短時間の裡に起るのである。(中略)劇は劇的瞬間を書きさへすればいゝ訳であるから、いかなる劇的葛藤も一幕位しかの時間をしか要さないし、従つて、一幕で描き得ればこれに越したことはないのである。 — 菊池寛「一幕物に就て」 しかし、一幕物は〈境遇説明〉と〈性格描写〉を表現するのが難しく、かといって〈筋を売るやうな台詞を、一言でも言わせることは、戯曲家の恥〉と考える菊池は、〈自然な会話の裡に、見物に些かの疑念をも起さずして境遇説明をやらねばならない〉とした。また、一幕の中で登場人物の性格や個性を活写するには、〈片言隻句の中にも、出来る丈その性格の片鱗をでも現はさうと〉努力する必要があるとして、一幕物を書くことの困難さを〈一刀で相手を仕止める〉ことに喩えて語っている。 一幕物を書くことは、三幕物を書くよりも、もつとむつかしい。たゞ、一幕物と云へば、きはめて手軽にきこえるので、世に一幕物を志す人達が多いが、一幕物にこそ、凡ての劇の本質が宿つてゐること、あたかも一刀流に於て、「打込む太刀は真の一刀」を重んずるのと同じだ。一幕を以て、人生の一角を切り取ること、一刀で相手を仕止めるのと同じことだ。決してたやすく思ひわたるべきことではない。 — 菊池寛「一幕物に就て」 こうした苦心を要する一幕物へのこだわりは、『屋上の狂人』『海の勇者』『父帰る』などの、主題を明確に出し、幕切れが印象的で鮮やかな作品に反映されている。
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