「幻影」「夢幻」勝利の主題とは? わかりやすく解説

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「幻影」「夢幻」勝利の主題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:33 UTC 版)

屋上の狂人」の記事における「「幻影」「夢幻」勝利の主題」の解説

菊池寛は、日本文壇戯曲創作がなされ始めた1909年明治42年)頃に、欧州近代劇正統素地もなく、いきなりヘンリック・イプセンバーナード・ショーなどの〈思想劇問題劇〉が多く移入されたことは、日本創作劇にとってあまり良くなく〈正当な発達妨げた〉とし、さらにもう一つ日本創作戯曲発達阻害したものとして、アクション稀薄なメーテルリンクなどの脈を引く気分情調劇〉を挙げ、なにも近代思想など盛らなくてもシングロード・ダンセイニのような良い戯曲いくらでも書けるはずだと考え、〈国民生活中核隠れて居る力強い深刻な題目〉を掴むことを戯曲創作主眼とした。 イプセンやショオやハウプトマンなどの思想劇問題劇などは、何(ど)うも本道を歩いて居る戯曲だとは思はれない。戯曲は、思想だとか問題などゝ云ふそんな不快な雑音に煩はされて居ない純な人生戯曲表現ではないか思ふ戯曲には新し思想盛られなければならないと云ふやうな考へ方は、どれほど良い戯曲発達毒して居るか分らないと思ふ。(中略戯曲と云ふものと生半可な近代思想と云ふものとが、同一不可分のものゝやうに思はれて居る。が所謂近代思想などゝ云ふものと少しも交渉しないでも、良い戯曲幾何でもかけると思ふ。その例としては、シングやダンサニイなどを挙げてもよいと思ふ日本創作劇が変な新しがり捨てゝ、もつと国民生活中核隠れて居る力強い深刻な題目を掴むやうに努力しなければ、とてもよい創作劇は発達しない思ふ。 — 菊池寛「劇及劇場に就て」 また、戯曲創作する第一歩である〈主題テーマ)〉を掴むことの重要性を語る中、〈主題一歩進むとそれが一の思想にまで進む〉とした上で、『屋上の狂人』を創作する際に影響受けたシングの『聖者の泉』(The Well of the Saints)の主題思想について菊池論じており、その主題を〈幻影はある人々には生活の糧である。幻影奪ふことは、さうした人々の生活を壊すことである〉と纏めている。 シングの『聖者の泉』のあらすじは、村人たちから美男美女だと嘘で褒められ施しを受けながら暮らしている盲目夫婦が、ある日にやって来た聖者飲ませた泉の奇蹟の力で目が見えるようになるが、夫婦見たものは醜悪な現実だったため、奇蹟効力消えて再び盲目になった時に再度聖者奇蹟を受けることを拒否するという話で、現実よりも幸福な〈幻影〉夢幻〉を望むという主題となっている。 こうした愛蘭土特有の空想勝利現実対す夢幻勝利〉や〈幻影復興現実忌避〉が描かれているシングの『聖者の泉』の主題は、最後に常人になることより狂人のままの人生よしとする屋上の狂人』の逆説的な主題通じている。

※この「「幻影」「夢幻」勝利の主題」の解説は、「屋上の狂人」の解説の一部です。
「「幻影」「夢幻」勝利の主題」を含む「屋上の狂人」の記事については、「屋上の狂人」の概要を参照ください。

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