「幻の本塁打」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 20:54 UTC 版)
広島時代の1999年6月30日の対横浜ベイスターズ戦(富山市民球場アルペンスタジアム)の5回に東出輝裕の代打として出場し、川村丈夫の初球を左翼ポール際へ本塁打性の打球を打つ。ボールはポールを巻いたように見えたが、三塁塁審の真鍋勝己はファウルという判定。広島首脳陣は約10分間猛抗議したが認められなかった(球審は渡真利克則)。町田は結局空振り三振し、「そういう星の下に生まれたのかな。あれがあれば(代打通算)21本塁打だったんだよね」と回想していた。 また、阪神移籍後の2005年5月3日の対広島戦(甲子園球場)では1点ビハインドの9回に走者一塁の場面で代打出場。ジョン・ベイルから左翼ポール際への逆転サヨナラ本塁打かという大飛球を放つも、塁審の上本孝一の判定はファウル。この時も結果は三振だった。
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