初期のキリスト教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 03:18 UTC 版)
聖書では前述のとおり、地球平面説によっていたことは明らかである。 黙示録でも、平面とする記述がみられる(7:1)。しかしながら、初期教会の時代には、いくつかの例外を除いて、ほとんどのキリスト教徒が球体説を支持しており、ほんの2、3の例を挙げればアウグスティヌス、ヒエロニムス、アンブロシウスがそうである。 『神聖教理』第3巻においてラクタンティウスは「頭より高い場所を歩く」対蹠人が存在しうるという考えを嘲笑している。彼は数種類の主張を挙げたうえで天地球体説の支持者に帰してこう書いている: しかしこうした信じられない御伽噺を擁護している人々から推測するなら、なぜ万物が天の低い位置に落ちていかないのかについて、彼らはそれが物の本性であり、重いものは中空にとどまり、車輪の輻のように中空に向かって集まっていくと答えるだろう; しかし霧や煙、炎のように軽いものは中空にとどまらず天へ向かって散っていくだろう。彼らが一たび誤ったことを述べたときに彼らの愚かさをずっと我慢し続け彼らのたわごとから自己を守っている人に対して、私は何と言って称賛すればいいのか当惑してしまう。 ヒッポのアウグスティヌス(354年–430年)は対蹠人が存在すると考えることに対してより慎重なやり方で反対している: 他方、「対蹠人」が存在する、などとうわさされている。すなわち、地の正反対の部分にあって、そこでは、わたしたちのもとでは太陽が沈むときに、太陽が昇るのであろうが、わたしたちの足取りとは逆向きに足跡を踏む人々が存在するというのである。このことが信じられるべきいかなる根拠もないのである。これは、何らかの史実的な知識によってそれを学んだと主張するものではなく、いわば推理をこねまわして憶測するものであって、それによれば、この地は天の丸天井の内側に掛っていて、この世界の最も低く中心になっているところが同一の場所なのである。このことから、この地の正反対の側―下になっている部分―にも人びとが住んでいないことはありえないと想像しているわけである。たとえこの世界が球状で円い形をしていると想定されるとしても、あるいは、何らかの理由でそれが証明されるとしても、反対の側の地が水の集積によって覆われていないという結論にはならないし、さらに、たとえ地が水に覆われていないとしても、そのことから直ちに人間がいると結論づけねばならぬわけではないということに気付いていないのである。 これらの人々がアダムを祖先とするなら彼らはいつかの時点で地球の反対側へ旅をしていなければいけないであろう; アウグスティヌスは続けてこう述べる: いくらかの人びとが広大な大洋を横切り、あちら側へ航海して到達することができて、かくしてそこにおいても人類があの最初の一人の人間から立てられるに至ったと語るのは、あまりにも馬鹿げたことである。 伝統的にアウグスティヌスの著作の研究者たちは上に引用したテクストや『創世記逐語註解』における有名な科学的証明から、アウグスティヌスを彼の同時代人と地球球体説を共有するものと理解している。しかしこの伝統は近年カナダ地球平面協会のレオ・フェラーリによって挑戦されており、彼は「世界の底で」というアウグスティヌスのひとことが本質的に地球平面説を支持しているのだと結論している。 タルソスのディオドロス(394年死)は聖書に基づいて地球平面説を主張した; しかし、ディオドロスの意見はコンスタンティノープルのフォティオスによるそれに対する反論によってのみ知られる。ガバラ司教セウェリアヌス(408年死)は地球は平面であり、太陽は夜にはその下を通るのではなく「壁によってさえぎられているかのように北方を旅する」と書いている。エジプトの修道士コスマス・インディコプレウステース(547年)は『キリスト教地誌』において全世界を聖櫃に準え、神学的見地から大地は平たく四つの大洋によって囲われた平行四辺形だと主張した。 『教理説教集』においてヨハネス・クリュソストモス(344年–408年)は聖書読解に基づいて明らかに蒼穹のもとに集められた大地が水面に浮かんでいるという説を支持しており、アレクサンドリアのアタナシオス(293年頃 – 373年)も『異端論駁論』において同じ意見を述べている。 世界の形状の問題に関する起源から古代までの議論に関するLeone Montagniniのエッセイに、教父たちが平行する哲学的・神学的観念全体への異なるアプローチを共有していたことが示されている。彼らのうちでプラトン的観念により親しんでいたオリゲネスのような者は平和的に地球球体説を受容できた。次に、バシレイオス、アンブロシウス、アウグスティヌス、ヨハネス・ピロポノスのような人々は地球球体説や放射重力説を受け入れたが批判的なやり方で受け入れた。彼らは特に放射重力に関する自然学的推論に多数の疑問を投げかけ、アリストテレスやストア主義者たちによる自然学的推論を受け入れるのに躊躇した。しかし、「地球平面主義」的なアプローチがシリア地方の教父全員に多かれ少なかれ共有されていた。彼らは旧約聖書の字義どおりの意味に従う傾向が他より強かったのである。ディオドロス、ガバラのセウェリアヌス、コスマス・インディコプレウステース、クリュソストモスらがまさにこの伝統に属していた。 少なくとも一人のキリスト教著述家、つまりカイサリアのバシレイオス(329年–379年)がこの問題は神学とは関係がないと考えていた。
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