交響曲の副題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/31 02:07 UTC 版)
![]() | この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。2012年11月) ( |
交響曲の副題(こうきょうきょくのふくだい)
交響曲は普通、交響曲第○○番□□調といったように、番号と調性で識別されているが、標題音楽的性格が強い場合や、その他様々な事情により、何らかの題名(副題)が与えられることがある。これは、交響曲以外でも番号で呼ばれる作品について広く当てはまることであるが、ここでは特に交響曲について扱うことにする。
副題の種類
副題の種類には大まかに以下の3種類がある。
- 作曲家が何らかの意図の下に与えた「題名」(タイトル、次節では【T】と表記)
- 幻想交響曲、ファウスト交響曲、マンフレッド交響曲、アルプス交響曲など、交響詩よりも大規模な管弦楽による標題音楽としての「標題交響曲 (英: program symphony 独: Programmsinfonie)」における「標題」(プログラム、次節では【P】と表記)
- 作曲者以外の人物が作曲者の意図とは無関係に便宜上与えた通称(ニックネーム、次節では【N】と表記)
「タイトル」については、ベートーヴェンの交響曲第6番『田園』や、シューマンの交響曲第1番『春』、チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』、メシアンのトゥランガリーラ交響曲などがある。これらはいずれも作曲家がそれぞれ意図をもって名づけたものであり、作品の解釈の手がかりともなる。
「標題(プログラム)」は、ベルリオーズの『幻想交響曲』における「断頭台への行進」やR.シュトラウスの『アルプス交響曲』における「森に入る」「頂上にて」のように、交響詩における標題と同様の具体的な描写内容を表すものである。
一方、「通称(ニックネーム)」については、ハイドンの交響曲第103番『太鼓連打』、モーツァルトの交響曲第38番『プラハ』、シューベルトの交響曲第8(7)番『未完成』、ブルックナーの交響曲第3番『ワーグナー』、マーラーの交響曲第4番『大いなる喜び(歓び)への賛歌』などが知られている。これらは主として演奏家や評論家などが、便宜上それぞれの作品の印象的なフレーズや、作曲された土地、作品にまつわるエピソードなどを題名のように適当に呼んでいたものが、やがて広く定着したり、レコードやCD、演奏会の入場券の売り上げ促進といった商業的理由によって用いられ続けているものである。
通称の場合しばしば問題になるのが、そのようにして呼ばれている通称が作品の理解の障害になる場合である。そのような作品として有名なのが、ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』、ドヴォルザークの交響曲第8番『イギリス』、ショスタコーヴィチの交響曲第5番『革命』などである。ベートーヴェンについては、「運命はかく扉をたたく」という発言があまりに大きく捉えられすぎて、「運命との葛藤」という側面ばかりが強調されてしまう傾向に陥っていることが、しばしば問題とされている。またドヴォルザークについては、イギリスの出版社から出版されたというだけの理由で与えられた通称であり、この通称では交響曲第8番のスラヴ風な特徴を完全に無視していることになる。ショスタコーヴィチは、当初はロシア革命を讃える社会主義リアリズム風の作品として解釈されていたため「革命」の通称で知られていたが、その後それを覆す証言や解釈が数多く現れ、現在では必ずしも革命を讃えているとは言い切れなくなった。このような理由により、これらの作品は通称を用いないで呼ぶことが好ましいとされている。
有名な副題付き交響曲一覧
- 芥川也寸志
- 『エローラ交響曲』【T】
- アッテルベリ
- 交響曲第3番『西海岸の光景』
- 交響曲第6番『ドル』【N】
- アルヴェーン
- 交響曲第4番『海辺の岩礁から』
- 伊福部昭
- ヤン・ヴァン・デル・ロースト
- ヴォーン=ウィリアムズ
※以下4曲いずれも副題というよりは題名そのもの(例えば「海の交響曲は」A Sea Symphony)である。
- オネゲル
- 貴志康一
- 交響曲『仏陀』
- グリエール
- 交響曲第3番『イリヤ・ムーロメツ』【P】
- ゴトコフスキー
- 『春の交響曲』
- サン=サーンス
- 交響曲第3番『オルガン付き』
- 柴田南雄
- 交響曲『ゆく河の流れは絶えずして』
- シベリウス
- リヒャルト・シュトラウス
- シューベルト
- シューマン
- ショスタコーヴィチ
- スク
- 『アスラエル交響曲』(交響曲第2番)
- スクリャービン
- 交響曲第3番『神聖な詩』
- 交響曲第4番『法悦の詩』
- 交響曲第5番『プロメテ - 火の詩』
- スパーク
- スメタナ
- 『祝典交響曲』
- 團伊玖磨
- 交響曲第6番『HIROSHIMA』
- ダンディ
- 『フランスの山人の歌による交響曲』(『セヴェンヌ交響曲』)
- チャイコフスキー
- チャベス
- 交響曲第1番『アンティゴナ交響曲』
- 交響曲第2番『インディオ交響曲』
- ツェムリンスキー
- 『抒情交響曲』
- デ・メイ
- 交響曲第1番『指輪物語』
- 交響曲第2番『ビッグ・アップル (ニューヨーク シンフォニー)』
- 交響曲第3番『プラネット・アース』
- ドヴォルザーク
- 冨田勲
- ニールセン
- ハイドン
- 交響曲第6番『朝』【T】
- 交響曲第7番『昼』【T】
- 交響曲第8番『夜』【T】
- 交響曲第22番『哲学者』【N】
- 交響曲第26番『ラメンタチオーネ』
- 交響曲第30番『アレルヤ』【N】
- 交響曲第31番『ホルン信号』【N】
- 交響曲第38番『エコー』【N】
- 交響曲第43番『マーキュリー』【N】
- 交響曲第44番『悲しみ』【N】
- 交響曲第45番『告別』【N】
- 交響曲第48番『マリアテレジア』【N】
- 交響曲第49番『受難』【N】
- 交響曲第53番『帝国』【N】
- 交響曲第55番『校長先生』【N】
- 交響曲第59番『火事』【N】
- 交響曲第60番『うっかり者』※劇付随音楽を編曲したものとされる。
- 交響曲第69番『ラウドン』【N】
- 交響曲第73番『狩』
- 交響曲第82番『熊』【N】
- 交響曲第83番『雌鶏』【N】
- 交響曲第85番『王妃』【N】
- 交響曲第88番『V字』【N】
- 交響曲第92番『オックスフォード』【N】
- 交響曲第94番『驚愕』【N】
- 交響曲第96番『奇蹟』【N】
- 交響曲第100番『軍隊』【N】
- 交響曲第101番『時計』【N】
- 交響曲第103番『太鼓連打』【N】
- 交響曲第104番『ロンドン』【N】
- ハチャトゥリアン
- バーンスタイン
- ハリス
- 交響曲第4番『民謡交響曲』
- ハルヴォルセン
- 交響曲第2番『宿命』
- ビゼー
- ハンソン
- 交響曲第7番『海の交響曲』
- ヒンデミット
- 『画家マティス』
- 『世界の調和』
- 『ピッツバーグ交響曲』
- ブライアン
- フェルステル
- 交響曲第4番『復活祭の夜』
- ブリテン
- 『シンフォニア・ダ・レクイエム』
- 『春の交響曲』
- ブルックナー
- 交響曲第4番『ロマンティック』
- プロコフィエフ
- ブロッホ
- 『イスラエル交響曲』
- ベートーヴェン
- ヘリー=ハッチンソン
- 『キャロル交響曲』
- ベルリオーズ
- 『幻想交響曲』
- 『イタリアのハロルド』
- 劇的交響曲『ロメオとジュリエット』
- 『葬送と勝利の大交響曲』
- ベルワルド
- ホヴァネス
- ポポーフ
- 交響曲第3番『英雄的』
- ボロディン
- 交響曲第2番(『勇士』)
- 黛敏郎
- マーラー
- マタチッチ
- 『対決の交響曲』
- マルティヌー
- 交響曲第6番『交響的幻想曲』
- ミヨー
- メシアン
- 『トゥランガリーラ交響曲』【T】
- メンデルスゾーン
- モーツァルト
- 吉松隆
- リスト
- リムスキー=コルサコフ
- ルビンシテイン
- 山田耕筰
脚注
交響曲の副題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 14:32 UTC 版)
詳細は「交響曲の副題」を参照 ハイドンやモーツァルトにおいては、交響曲が音楽以外のものと結びついた副題を予め与えられることは、一部の特殊な製作事情をもつ作品を除き、ほぼなかった。これは交響曲が絶対音楽として成立していたことを示す。 ハイドンにおいては、第45番『告別』や第94番『驚愕』・第101番『時計』・第104番『ロンドン』などの名前を持つものがあるが、これは曲の特徴や初演された場所を愛称として付したものであり、副題の内容を音楽として表現したものでないため、絶対音楽と言える。モーツァルトの第31番『パリ』・第35番『ハフナー』・第41番『ジュピター』なども同様である(第35番はハフナー家のために作曲された)。ただし、ハイドンの第6番『朝』、第7番『昼』、第8番『晩』は、当時仕えていたエステルハージ侯爵から題を与えられて作曲したものであるとされ、標題音楽的側面も持つといえよう。また、第8番『晩』の第4楽章にはハイドンによって『嵐』という副題がつけられている。 ベートーヴェンは、第3番『英雄』・第6番『田園』において自ら副題を与えるというやり方を開始した。第3番は、最初『ボナパルト』と題されて作曲されたことからも、ナポレオン・ボナパルトを念頭においた標題音楽であると言うこともできる。なお、第5番『運命』、第9番『合唱(合唱付き)』は後世の人が与えた愛称であり、標題ではない。ただし、第9番はシラーの詩による「歓喜の歌」を含み、その言語により意図していることは明確であり、絶対音楽ではない。 以降のロマン派の交響曲は、絶対音楽と標題音楽の狭間を揺れ動きつつ、発展を遂げることになった。 ベルリオーズは『幻想交響曲』において、1人の女性の幻影につきまわれるという筋立てのもと、女性の幻影を旋律にし、固定観念(イデー・フィクス)として用いた。5つの楽章は「夢と情熱」、「舞踏会」、「野の風景」、「断頭台への行進」、「悪魔の祝日と夜の夢」という副題を持つ。この曲は、後の交響詩の発展の先駆けともなった。 シューマン、メンデルスゾーンの交響曲も副題を持つものがあるが、形式的には絶対音楽の範疇にとどまっている。 ブルックナーはかたくななまでに絶対音楽の形式を守った。マーラーは1番と3番で作曲途中に標題を付けたが、最終的には標題を削除している。2番「復活」、7番「夜の歌」、8番「千人の交響曲」は他人によってつけられた通称であり、6番「悲劇的」もマーラー自身によって付けられたものかは定かではない。マーラー本人が明確に題を残したものは歌曲集と交響曲との中間的な存在である「大地の歌」のみである。ただし、マーラーの交響曲には声楽を含むものも多く、意味のある歌詞を含むようになった以上、それらは絶対音楽ではあり得ない。また、最終的に標題を削除した交響曲についても、作曲の過程で標題を意識したものがほとんどであり、いずれの交響曲も大なり小なり標題性を持つ。 リストの『ファウスト交響曲』と『ダンテ交響曲』、シベリウスの『クッレルヴォ交響曲』、マーラーの交響曲『大地の歌』、チャイコフスキーの『マンフレッド交響曲』など、番号付き作品の系列外に標題を持つ作品もある。 エドゥアール・ラロの『スペイン交響曲』(ヴァイオリン協奏曲第2番)、ヴァンサン・ダンディの『フランスの山人の歌による交響曲』、伊福部昭の『ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲』など、実質は独奏楽器と管弦楽のための協奏曲であるが規模の大きな作品を、あえて交響曲と呼ぶ例もある。
※この「交響曲の副題」の解説は、「交響曲」の解説の一部です。
「交響曲の副題」を含む「交響曲」の記事については、「交響曲」の概要を参照ください。
- 交響曲の副題のページへのリンク