中国への移住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 13:58 UTC 版)
兄のウィリアム・ヒントン(1919-2004)は、1937年に初めて中国を訪れ、第二次世界大戦後に帰国した。1966年に刊行された彼の著書『翻身(英語版)』(Fanshen)には、中国共産党が支配する中国北西部での農地改革の様子が描かれている。 1948年3月、ヒントンは中国に渡った。孫文の未亡人で上海に住む宋慶齢のもとで働き、中国共産党との接触を試みた。1949年に共産党が首都北京を制圧したのを知った後、共産党の活動拠点だった延安に移り、1946年から中国で活動していたアーウィン・エングスト(英語版)(中国名 陽早)と結婚した。5か月間洞窟で生活した後、1949年に国営農場で働くために内モンゴルに移った。そこは、柵で囲まれた電気もラジオもない村だった。村が山賊に襲われたこともあった。アメリカでは、家族と科学者のグループ以外、誰も2人の消息を知らなかった。 1952年10月、ヒントンは北京で開かれたアジア太平洋地域平和会議(英語版)に出席し、アメリカによる原爆投下を非難した。アメリカでは、ヒントンが中国の核兵器開発に協力しているのではないかという疑惑の目が向けられた。陸軍マッカーシー公聴会(英語版)では、ヒントンと兄のウィリアムについての質問が出た。 1955年5月、夫妻は3人の幼い子供たちとともに、西安近郊の農場に移り住んだ。1966年4月、文化大革命が始まると、一家は北京に移り、翻訳者や編集者として働いた。 1956年、ヒントンは中国の永住権を取得したが、アメリカの市民権も維持した。 1966年8月29日(別の資料では6月)、ヒントンと夫のアーウィン・エングスト、中国在住のアメリカ人のアン・トムキンス、兄ウィリアムの元妻のバーサ・スネック(英語版)は、次のような大字報(壁新聞)を掲げた。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}外国人がこのような待遇を受けるために、どのような怪物や奇人が糸を引いているのだろうか? 中国で働く外国人は、どのような階級的背景を持っていようと、革命に対する態度がどのようなものであろうと、全員が「5つの『ない』と2つの『ある』」を持っている。5つの「ない」とは、第1に肉体労働をしない、第2に思想改革をしない、第3に労働者や農民と接触する機会がない、第4に階級闘争に参加しない、第5に生産闘争に参加しない、である。2つの「ある」とは、第1に非常に高い生活水準を持っている、第2にあらゆる種類の専門性を持っている、である。これはどういう概念なのか? これはフルシチョフ主義であり、修正主義的思考であり、階級搾取である! (中略)我々は要求する。(中略)第7に、中国人と同じ生活水準、同じレベルを、第8に特別扱いしないことを。プロレタリア文化大革命万歳! この大字報の写しを見た毛沢東は、「革命的な外国人とその子供は中国人と同じように扱うべきだ」という指令を出した。 1972年、ジョーン・ヒントンとアーウィン・エングストは、北京近郊の農場で再び農業に従事し始めた。 1987年6月、ウィリアム・ヒントンが改革政策による変化を取材するために山西省の大寨村に行き、同年8月にはジョーン・ヒントンも滞在した。 1996年のCNNのインタビューでは、中国に50年近く滞在したことについて、「[私たちは]こんなに長く中国にいるつもりはなかったが、あまりにも追いつめられて離れられなかった」と語っている。ヒントンは、1970年代後半に鄧小平による経済改革が始まってからの、彼女と夫が見てきた中国の変化について語った。ヒントンは、中国人の多くが資本主義を受け入れたことで、「社会主義の夢が崩壊するのを見た」と述べた。2004年のMSNBCのインタビューでは、中国の経済の変化を「社会主義の大義に対する裏切り」と批判的に評価している。ヒントンは、中国社会において搾取が増加していると指摘している。 2003年に夫が死去した後、ヒントンは中国に1人で暮らしていた。3人の子供たちはアメリカに移住したが、ヒントンは「中国がまだ社会主義だったら、彼らは残っていたかもしれない」と語っている。ヒントンは、「旅行に便利だから」とアメリカの市民権を保持していた。息子の陽和平(中国語版)(フレッド・エングスト)は、2007年に北京に戻り、対外経済貿易大学の教授に就任した。 2005年に発表したエッセイ"The Second Superpower"(第二の超大国)の中で、ヒントンは「現在、世界には2つの対立する超大国がある。一方はアメリカ、もう一方は世界の世論である。前者は戦争で成功する。後者は平和と社会正義を求めている」と述べている。
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