世界観とビジュアル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 15:53 UTC 版)
「マックス・ヘッドルーム」の記事における「世界観とビジュアル」の解説
物語上ではエディスンの人格のコンピュータ上への再構成ということになっているマックス・ヘッドルームのビジュアルは、そのインパクトから多数のメディアへ再露出し、あるいは引用されたが、テレビドラマとしては必ずしも成功した部類に入らないようだ。 各話には必ず『現在』起きている問題に基づくテーマがある。それを極端化して『20分後の未来』の事件に置き換えて、エディスンやその他の人々がクローズアップしてみせる、という手法になっている。テーマはTVによる総白痴化、マスメディアの知る権利とプライバシーの問題、企業の利益追求と倫理、ニュースのエンターテインメント化や報道過熱によるやらせや捏造など、放映当初の1980年代『現在』だけではなく、21世紀『現在』でも通用する普遍的なものである。 このためビジュアルとしてはポップでパンクであるにもかかわらず、テレビドラマとしてはいささか重い内容である。そのためか、2シーズン目の途中で打ち切りになり最終話は制作されたが放映されなかった。 マックスのCGは、単純な線でできた立方体の鉄格子のようなものが動き回る中、CGで合成されたことになっているマックスが表情豊かに軽快なおしゃべりをするというものである。このCGは、1980年代のCG技術の限界もあるためか、実際にはエディスンをも演じているマット・フリューワーにしわや髪の毛・歯などの細かいディテールを消す特殊メイクを施し、テカテカのジャケットを着せて極端なライティングをした状態で撮影し、コマを飛ばしたり繰り返したりして非人間的な動きに仕立て上げた実写で作られたCGもどきである。マット・フリューワーはエディスンを演じるときはクールでやや暴力的で抑えた動きをしているが、マックスを演じるときは笑顔をベースとするひょうきんな動きをすることで、よりコンピュータ合成的な対比を強めている。音声もこれに合わせて語尾を繰り返したりピッチチェンジャーで上げたり下げたりしているのは、現在のヒップホップ・歌謡曲のはしりをも思わせる。 この他、主にテレビ局のコントロールのスクリーンに登場するCGも、ワイヤーフレームが主体である。CGとしては決して高度な部類に入らないが、後述する装置等の美術と相まって、奇妙な未来感を演出している。 エディスン達が活躍する『20分後の未来』は総人口は3億で、近未来の荒廃した都市を思わせる。都市部の人々は過密な雑居ビルに住まい、自由を求めて社会保障を捨てた人々は荒れ果てた『外辺』に住んでいることになっている。多くのシーンではスモークが焚かれ荒廃感を演出している。作中で登場する多国籍企業ZikZak社のは本社がNew Tokyoにあり会長の名前はチャンであるように、東洋の入り混じった西洋になっている。またナードの天才少年が人間性に目覚める、などの1990〜2000年代的なプロットもある。 人々がテレビに依存し、またものごともテレビを基準として動く社会を演出するために、スラム街である『外辺』でも無造作にTVセットが積み上げられて常に人々はテレビに依存した生活をしている。また世界は数多くのテレビカメラによって常に監視されており、テレビ受像機ですら双方向で視聴者を撮影しているという設定になっている。この設定により、テレビ局内の世界中にあるテレビカメラやデータベースに自由にハッキングできる技量があるコントロールがレポーターに警備員の数を教えたり、取材対象の位置などの情報を教えて、突撃取材のガイドをする、ということになっている。 作中のハイテク機器は、すべてレトロな雰囲気である。コンピュータの端末はストロークが深いタイプライターのキーボードであり、マウスやウィンドウシステムといったGUIは登場せず、登場人物がキーボードを高速でタイピングしハッキングをする。コンピュータのディスプレイやTV受像機などは液晶・フラットパネルどころか、ブラウン管で角が丸い、1980年代からみても古典の部類の表示デバイスである。
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