ローマへの旅程とは? わかりやすく解説

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ローマへの旅程

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 09:33 UTC 版)

クヌート1世 (イングランド王)」の記事における「ローマへの旅程」の解説

スカンディナヴィアの敵が服従し、どうやら時間的余裕ができたと見られるクヌートは、ローマで神聖ローマ皇帝コンラート2世即位式観る招待を受けることができた。彼は北部での情勢を後にして、デンマークから1027年復活祭開かれた戴冠式臨んだ——中世ヨーロッパ支配者らにとって、キリスト教世界英語版)の中心地への巡礼注目に値する敬意であった帰路での彼は、1019年の時と同様に手簡出しイングランド家臣国外から彼の意思伝え、自らを「全イングランドデンマークノルウェー人、そしてスウェーデン人一部の王」と宣言したキリスト教徒王としてクヌート役割相応しくクヌートローマ行き自分の罪を悔い贖罪家臣の安全を祈りイングランド大司教パリウム費用を減らすため、そしてカンタベリーとハンブルク・ブレーメン(英語版大司教区デンマーク大司教区対す優位性競うことを解決するために、教皇交渉したまた、ローマへの道中の巡礼者商人取り巻状況改善依頼した。彼自身言葉では以下のように表現されている。 ...余は皇帝教皇、そしてそこにいる王子達と、余の王国全土全ての人々イングランド人デーン人双方へ、ローマへ途上にて、より公正な法律安全な平和が与えられ彼等道中多く障壁によって制限されたり、不当な通行料によって悩まされりしないようにという要求についての話をした。皇帝同意し料金所のほとんどを管理するロベール王も同様であった。そして、全ての有力者達は、余の民、商人信仰のために旅をする人々双方が、障壁通行料徴収者に悩まされることなく確固たる平和と公正な法のもとにローマ行き帰ってくるという勅令基づいて確認した。 —1027年クヌートの手簡よりTrow 2005, p. 193 クヌート文書出てくるロベール王 (King Robert) は、恐らく独立したブルグント王国最後君主であったルドルフ3世 (Rudolph) の誤記とされるそれゆえ教皇皇帝ルドルフ厳粛な言葉は、4人の大司教20人の司教、そして「数え切れない多く公爵貴族」の立会人と共に伝えられたが、それは式典完了する前だったことを示唆している。クヌート自分役割熱意持ち疑いなく心身打ち込んだ公正なキリスト教の王、政治家、外交官不正に対抗する活動家として彼のイメージは、現実根差したものであった同時に、彼が与えようしたものでもあったと見られるヨーロッパ内での彼の地位を示す好例は、クヌートブルグント王皇帝の列に横付けし、同じ台座の上肩を並べて立ったという事実である。クヌート皇帝は、様々な資料によると、年齢が近いこともあり、兄弟のように互いに付き合っていたという。コンラートクヌートに、友好条約の証としてシュレースヴィヒ公国マーチ (領土)(英語版)——スカンディナヴィア人の諸王国と大陸との間にけられた陸橋割譲した。この地域で何世紀にも及んだデーン人ゲルマン人衝突は、バルト海入江であるシュライ湾シュレースヴィヒから北海にかけて、ダーネヴィアケ(英語版)の建設原因となったローマへクヌート訪問大成功だった。Knútsdrápaの詩にて、作者のシグヴァト・ソルザルソン(英語版)は「皇帝にとって重要であり、ペテロ親密であり」と自らの王であるクヌート称賛している。キリスト教世界時代では、神に好かれているとされる王は、幸せ王国支配者となることを期待された。教会民衆とだけでなく、南の対立者との同盟により、北の敵対者との紛争終わらせることができ、彼がより強い立場にあったのは確かである。彼の手簡同国人に、ローマで成果だけでなく、帰国後のスカンディナヴィア世界で野望も以下のように伝えている。 ... 余は出発した時と同じ道で戻りデンマーク行き、全デーン人助言のもとに、可能なら我等から命と支配奪いたかったが、神が彼等の力を破壊したことでそれができなかった民族人々と、和平調停確固たる条約を結ぶために赴くことを、皆に知ってほしい。彼の寛大な慈悲により、我等支配と名誉のうちに保ち以後我等全ての敵の権威と力を散らし、無にして下さることを!そして最後に周囲人々との和平取り極められ、ここ東にある王国全て適切に整い鎮まり、どの方面からの戦争、あるいは個人敵意恐れないようになった時、余は今夏可能な限り早い時期イングランド参上し艦隊装備注視する所存である。 —1027年クヌートの手簡より クヌートローマからデンマーク戻りデンマーク安全保障整えた後、イングランド向けて出航することになっていた。

※この「ローマへの旅程」の解説は、「クヌート1世 (イングランド王)」の解説の一部です。
「ローマへの旅程」を含む「クヌート1世 (イングランド王)」の記事については、「クヌート1世 (イングランド王)」の概要を参照ください。

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