ローマへの侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 04:02 UTC 版)
「第442連隊戦闘団」の記事における「ローマへの侵攻」の解説
1944年1月から2月にかけて、ドイツ軍の防衛線「グスタフ・ライン(英語版)」の攻防において激戦を繰り広げた。5月には、ローマ南方の防衛線「カエサル・ライン(英語版)」の突破にも活躍している。ローマへの進撃の途上で激戦地モンテ・カッシーノでの戦闘にも従事し、多大な犠牲を払った。部隊はベネヴェントで減少した兵力の補充を受け、ローマを目指したが、軍上層部の意向によりローマを目前にして停止命令が出され、後続の第1特殊任務部隊などの白人部隊が1944年7月4日に入城してローマ解放の栄誉を手にした。結局、部隊はローマに入ることを許可されず、ローマを迂回しての北方への進撃を命じられた(これはこれで、実力を認められて先鋒を任された名誉という解釈もある)。 イタリアに到着していた第442連隊は第1大隊が解体されたため1個大隊欠けていた編成となっていたので、6月に第100歩兵大隊を第442連隊に編入して、第442連隊戦闘団をベルベデーレ(英語版)、ピサなどイタリア北部での戦闘に参加させた。
※この「ローマへの侵攻」の解説は、「第442連隊戦闘団」の解説の一部です。
「ローマへの侵攻」を含む「第442連隊戦闘団」の記事については、「第442連隊戦闘団」の概要を参照ください。
- ローマへの侵攻のページへのリンク