内戦の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:50 UTC 版)
スッラ軍はセルウィウス城壁のエスクィリアエ門を破ってエスクイリヌスの丘にまで進んだが、市民兵は屋根から軍団兵に煉瓦を投げつけ、どうにかこれを退けると広場で待ち構えていたマリウス軍と会敵した。最初の攻撃では押し入った縦隊が数に勝る市民兵に四方から攻撃されて退却したが、軍団兵の別動隊が迂回して攻撃すると市民軍は広場から後退した。マリウスは市民、騎士、元老院議員らを励ましながら戦闘を続けたが、市民兵は錬度や装備の面で軍団兵に敵わず打ち破られた。皮肉にも職業軍人のローマ軍を作り出したマリウス自身が市民軍より職業軍人が優れている事を証明する形になった。 ローマ中心部に突入したスッラ軍によって護民官スルピキウスが殺害され、マリウスや民衆派はローマ国外へ亡命した。マリウスはオスティア港から船でイタリア半島南部に逃れ、息子の小マリウスは父と逸れた為に母方のカエサル家の下に逃れ、そこからアフリカのヌミディア王国に亡命した。市街地戦では大勢の市民や貴族が敵味方関係なく犠牲となり、ローマへの侵攻を思い留まるように説得した閥族派の間でもスッラへの敵意を生む事になった。加えてスッラは民衆派への粛清を行い、指導者であるマリウスを国家の敵とする宣言を布告したが、これもスッラを助命したマリウスに比べて苛烈な報復と受け取られた。 スッラは元老院でも民会でも人心を掌握できず、コルネリウス氏族出身ながら自身に批判的なルキウス・コルネリウス・キンナが執政官に選出されるのを阻止できなかった。後顧に憂いを残しながらもスッラはミトリダテス戦争に再度出陣した。
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