内戦の犠牲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 10:12 UTC 版)
内戦は比較的短期間で終了したが、犠牲者はマイケル・コリンズを始めとして多数に及んだ。条約賛成派、反対派の双方が凄惨な事件を引き起こした。反条約派は幾人ものドイル議員を殺害し、その住居であるという理由からムーア・ホールを始めとする多くの貴重な建物を破壊した。自由国政府側は合法的、非合法的に多くの逮捕者を処刑した。自由国政府側の公式の犠牲者は800名であるが、実際には4千名にも及ぶと見られる。アイルランドの経済は、内戦により大きな打撃を受けた。内戦終結時に収監されていた1万2千人にも及ぶ逮捕者の大多数は、1924年まで解放されなかった。 これらの事実にもかかわらず、アイルランド内戦の犠牲者は他国の内戦に比べて少なかったとする見方もある。犠牲者数はロシア内戦、スペイン内戦に比べて格段に小さかった。さらに新たに創設されたアイルランド警察が内戦に参加しなかったことは、戦後の内政の安定に寄与した。 1926年、あくまで闘争の継続を望む反条約派の説得に失敗したデ・ヴァレラは国政に復帰し、フィアナ・フォイル(共和党)を設立した。 多くの内戦がそうであるように、アイルランド内戦も後のアイルランドの政治に多大な影響を与えた。今日の国会(ウラクタス)における二大政党フィアナ・フォイルとフィナ・ゲール(統一アイルランド党)は、それぞれ条約の反対派と賛成派が1922年に結成した政党である。1970年代に至るまで、主要な政治家のほぼ全員が内戦への参加者であったため、政党間の対立には暗い影が伴った。内戦参加者を挙げると、フィアナ・フォイルではエイモン・デ・ヴァレラ、フランク・エイケン、トッド・アンドリュース、ショーン・リーマスなど、フィナ・ゲールにはW・T・コスグレイヴ、リチャード・マルケイ(英語版)、ケヴィン・オイギンスなどがいる。1930年にフィアナ・フォイルが政権を握ると、IRAと親自由国のブルーシャツ(The Blueshirts)との間で内戦の再発が懸念された。 IRAは政治方針を巡って分裂を繰り返し、その内の一派は1980年代に入っても1916年のイースター蜂起で設立が宣言されたアイルランド共和国暫定政府の正統性と1921年の条約の不当性を主張している。マイケル・マクダウェルなど一部の政治家がこれに同調しており、IRA暫定派への支持が今でも絶えないことを裏付けている。
※この「内戦の犠牲」の解説は、「アイルランド内戦」の解説の一部です。
「内戦の犠牲」を含む「アイルランド内戦」の記事については、「アイルランド内戦」の概要を参照ください。
- 内戦の犠牲のページへのリンク