ローマへの抵抗とは? わかりやすく解説

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ローマへの抵抗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 02:06 UTC 版)

アンビオリクス」の記事における「ローマへの抵抗」の解説

紀元前54年秋、カエサル15コホルス(1個半軍団)をクィントゥス・ティトゥリウス・サビヌスとルキウス・アウルンクレイウス・コッタに授けエブロネス族領域のほぼ中央にあるアドゥアトゥカ近く冬営させた。この当時エブロネス族貨幣打刻され図柄ライン川東岸のウビイ族(ゲルマン系)のものを真似ており、ローマ軍対す反乱準備するために作られたものと推測されるカエサルはその著書ガリア戦記第5巻の中で、アンビオリクス詐略長け信用ならない人物として描いている。他の記述の中で、登場人物の話として間接的に長い文章でアンビオリクス半生について述べているが、それによればアンビオリクスには息子1人おり、隣接するアドゥアトゥキ族に人質として預けられていたが、カエサルにより解放されアンビオリクスの許に返されたという。アンビオリクス明らかにカエサルと良好な関係を保っており、両者定期的に互いに使者やり取りしていた。 アンビオリクスローマ軍冬営地の司令官サビヌス誤った情報流して冬営地を無計画に放棄させ、谷間移動中で伸び切ったローマ軍隊列狙って攻撃をかけ、ローマ兵の大部分戦死したカエサルアンビオリクスを、事態迅速に判断し対処する優れた戦術家将軍評している。 この大勝利の後、アンビオリクスは隣の部族にもローマ対す反乱呼びかけた。アドゥアトゥキ族とネルウィ族がこれに同調し、インドゥティオマルスに率いられたトレウェリ族も反乱参加したカエサル直接介入して反乱鎮圧された。紀元前53年冬の末、アンビオリクスエブロネス族はトレウェリ族、ネルウィ族、アドゥアトゥキ族、メナピエリ族、セノーネス族、カルヌテス族、そしてライン川西岸にいたゲルマン人同盟結んだ。しかしこの反乱動きはすぐに瓦解した

※この「ローマへの抵抗」の解説は、「アンビオリクス」の解説の一部です。
「ローマへの抵抗」を含む「アンビオリクス」の記事については、「アンビオリクス」の概要を参照ください。

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