ローマイヤー・ソーセージ製作所を設立とは? わかりやすく解説

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ローマイヤー・ソーセージ製作所を設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/16 15:23 UTC 版)

アウグスト・ローマイヤー」の記事における「ローマイヤー・ソーセージ製作所を設立」の解説

1920年1月末、東京帝国ホテル到着しホテル所有していた数頭の豚の飼育と加工担当した日本にあまり浸透していなかったハムソーセージ作ったところ、資生堂社長福原信三メロンパン発明したことで知られるアルメニア人コックのイワン・サゴヤンなど、複数の客や料理人から絶賛され独立決意する翌年すぐに帝国ホテル退職し29歳大崎合資会社ローマイヤー・ソーセージ製作所立ち上げた商業ベースでの本格的な洋風ハム・ソーセージの製作にとりかかり、「胃袋宣教師」として知られるカール・ワイデル・レイモン先駆けて1921年豚ロース肉を使用したボイルドハムを創出した。翌年19歳日本人フサと恋に落ち同棲始める。1925年4月正式に結婚した1923年9月1日関東大震災東京襲い、ローマイヤーの会社倒壊した。ローマイヤーはこの時、貯蔵していた肉が腐る前に処分しよう被災者無料提供したが、この行為が後に出資者から咎められ大崎会社閉鎖余儀なくされた。同年住居南品川移し、ここに土地借りて仕事再開した。ここでは小林栄次八木下俊三、稲葉育男、水尾正雄、君塚豊治など、やがて後の日本の食加工業界の発展重要な役割を果たすことになる面々従業員として雇われた。 1925年銀座並木通りロースハム直売店レストラン開業し評判を得るようになる皇族名士文化人などが多数ローマイヤーのハム買い求めにくるようになった1929年には世界一周果たしたドイツ飛行船グラーフ・ツェッペリン日本着いた際に招待を受けるなどの栄誉受けた1932年失踪していた父親足取り判明し一時帰国する。 やがて第二次世界大戦はじまり、戦争激化する1942年、ローマイヤーは過労から来る胃潰瘍で床に伏し、ローマイヤーの生産工場休止となる。東京での空襲頻発するうになる一家箱根疎開し、ローマイヤーも病気療養専念した戦争終結後1949年幸いにして戦火免れていた品川の家へ戻ると同年6月、再び仕事再開した1962年12月19日心臓病により死去。 ローマイヤーが手掛けた生産工場レストランそれぞれ息子引継いだが、2000年ローマイヤ株式会社として一族の手離れた

※この「ローマイヤー・ソーセージ製作所を設立」の解説は、「アウグスト・ローマイヤー」の解説の一部です。
「ローマイヤー・ソーセージ製作所を設立」を含む「アウグスト・ローマイヤー」の記事については、「アウグスト・ローマイヤー」の概要を参照ください。

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