ローマイヤー・ソーセージ製作所を設立
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「アウグスト・ローマイヤー」の記事における「ローマイヤー・ソーセージ製作所を設立」の解説
1920年1月末、東京帝国ホテルに到着し、ホテルが所有していた数頭の豚の飼育と加工を担当した。日本にあまり浸透していなかったハムやソーセージを作ったところ、資生堂社長の福原信三やメロンパンを発明したことで知られるアルメニア人コックのイワン・サゴヤンなど、複数の客や料理人から絶賛され、独立を決意する。翌年すぐに帝国ホテルを退職し、29歳で大崎に合資会社ローマイヤー・ソーセージ製作所を立ち上げた。商業ベースでの本格的な洋風ハム・ソーセージの製作にとりかかり、「胃袋の宣教師」として知られるカール・ワイデル・レイモンに先駆けて1921年に豚ロース肉を使用したボイルドハムを創出した。翌年、19歳の日本人フサと恋に落ち、同棲を始める。1925年4月に正式に結婚した。 1923年9月1日、関東大震災が東京を襲い、ローマイヤーの会社も倒壊した。ローマイヤーはこの時、貯蔵していた肉が腐る前に処分しようと被災者へ無料で提供したが、この行為が後に出資者から咎められ、大崎の会社の閉鎖を余儀なくされた。同年、住居を南品川へ移し、ここに土地を借りて仕事を再開した。ここでは小林栄次、八木下俊三、稲葉育男、水尾正雄、君塚豊治など、やがて後の日本の食肉加工業界の発展に重要な役割を果たすことになる面々が従業員として雇われた。 1925年、銀座並木通りにロースハムの直売店とレストランを開業し、評判を得るようになると皇族や名士、文化人などが多数ローマイヤーのハムを買い求めにくるようになった。1929年には世界一周を果たしたドイツの飛行船グラーフ・ツェッペリンが日本に着いた際に招待を受けるなどの栄誉も受けた。1932年、失踪していた父親の足取りが判明し、一時帰国する。 やがて第二次世界大戦がはじまり、戦争が激化する1942年、ローマイヤーは過労から来る胃潰瘍で床に伏し、ローマイヤーの生産工場は休止となる。東京での空襲が頻発するようになると一家は箱根へ疎開し、ローマイヤーも病気の療養に専念した。戦争終結後の1949年、幸いにして戦火を免れていた品川の家へ戻ると同年6月、再び仕事を再開した。1962年12月19日、心臓病により死去。 ローマイヤーが手掛けた生産工場とレストランはそれぞれ息子が引継いだが、2000年にローマイヤ株式会社として一族の手を離れた。
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