ローマ・カトリックとアイルランド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 04:21 UTC 版)
「クリストファー・ホーリーウッド」の記事における「ローマ・カトリックとアイルランド」の解説
ダブリン近郊の村ホーリーウッドから取られた姓により、彼の家系は教会および世俗の双方で古くまで判明している。クリストファー・ホーリーウッドはパドヴァで学び、1579年にドールでイエズス会に入った。後にポン・タ・ムーソン、フェラーラそしてパドヴァにおいて聖書と神学の教師となり、そこでロベルト・ベラルミーノと出会った。 1598年、ホーリーウッドはアイルランドに派遣されたが、道中に逮捕されイングランドのゲートハウス監獄(en)、ロンドン塔、ウィズビーチ城(en)に相次いで収監され、結局エリザベス1世の死後に大陸(イギリスから見てのヨーロッパ本土のこと)追放となった。ホーリーウッドはそれからすぐに中断させられた旅を再開し、1604年の聖パトリックの祝日の前日にアイルランドにたどり着いた。同年に彼は2つのイングランド国教会を攻撃する文章をラテン語で出している。そのひとつにカンタベリー大主教マシュー・パーカーの下品な聖別に関する主張が含まれている。それは『ナグスヘッドの作り話』として知られており、その話はローマカトリック圏のいくつかの国では本当だと考えられた。彼はすぐにアイルランドのイエズス会の上官に任命された。これは宗教改革の間継承を保つことが不可能だったすべてのローマカトリック司教が空位という中では非常に重要な地位であった。
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