ローマ・カトリックの普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/21 15:08 UTC 版)
「リトアニアの宗教」の記事における「ローマ・カトリックの普及」の解説
歴史的に見てみると、中世のリトアニア大公国は「ヨーロッパ最後の異教国」とも呼ばれるような非キリスト教国であった。しかし13世紀、リトアニアが周囲のリヴォニア帯剣騎士団などから攻撃を受けるようになると、当時リトアニアを統一していたミンダウガスはその脅威を和らげるため、1251年、カトリックに改宗した。しかしミンダウガスの死後は再び「異教国」となった。 詳細は「北方十字軍」を参照 1397年、リトアニア大公ヨガイラはポーランド王に就任する条件としてカトリックに改宗、さらにリトアニア大公国の国教とした。それを機にローマ・カトリックがリトアニアに広まっていくことになる。 ヨガイラの従兄弟にあたるヴィータウタス大公は、かつてミンダウガスの時代にキリスト教の聖堂があった場所にゴシック様式の教会を建てた。これが現在のヴィリニュス大聖堂である。ただしその後焼失と再建が繰り返されており、現在の大聖堂の外観はヴィータウタスの時代とはまったく異なっている。現在の大聖堂は、1783年から1801年にかけて行われた大改築によって建てられた古典様式の大聖堂が原型となっている。しかし大聖堂の内部はヴィータウタスの時代の姿がかなり残されている。 16世紀になるとカトリックが貴族社会のみにとどまらず、リトアニア人の農民社会にまで浸透していった。ただし当時の聖職者はポーランド人が中心で、また教会でのミサも当時の公用語であったポーランド語で行われた。
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