ローマ・サムニウムの緊張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/17 01:01 UTC 版)
「ネアポリス占領」の記事における「ローマ・サムニウムの緊張」の解説
サムニウムの脅威に対抗するために、カンパニア北部の都市はローマとの同盟を選んだ。また、ローマは文明化され平和的な低地部の部族を支援し、好戦的な山岳部の部族に対抗させるという政策を再開した。その結果、ローマとサムニウムの間に長期にわたる悲惨な紛争が継続することとなった。ローマは直前の第二次ラティウム戦争(紀元前340年-紀元前338年)でサムニウムと同盟していたが、ラティウム戦争に勝利するとサムニウムとの同盟関係を破棄した。当初サムニウムは、ローマがカンパニア北部を同盟に組み入れたことを敵対的行為とは考えていなかった。この無関心の要因のひとつとして、ターレスとの紛争があげられる。ターレスはギリシア北部のエピロスの王であるアレクサンドロスI世と同盟を結んでいた。しかし、やがてこのローマの拡大が重大な脅威であると認識するようになった。
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