ホメロスの世界から古典期へとは? わかりやすく解説

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ホメロスの世界から古典期へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:50 UTC 版)

クレタ島の歴史」の記事における「ホメロスの世界から古典期へ」の解説

古代ギリシア」も参照 クレテ勢を指揮するのは名高きイドメネウス、その軍勢クノソスクノッソス)、城塞堅固なゴルテュン、リュクトスにミレトス白亜に輝くリュカストス、パイストスにリュティオンなど、いずれも栄える町々の住人たち、さらに町はその数、百にのぼると称されるクレテに住む他のものども。この軍勢指揮をとるのは、名高きイドメネウスと、武士もののふ)の命を奪うエニュアリオス(アレス)にも劣らぬ勇将メリオネス。随う船は八十艘。 -ホメロスイリアス第二歌§645-652 葡萄酒色大海中にクレテなる土地があり、美しく肥沃でもあり、四方を海に囲まれおります住民数え切れぬほど多く九十の町があります。話す言葉もさまざまで混り合いアカイア人豪気のエテオクレテス人、またキュドネス人、三つ部族分れるドリス人ドーリス人)に、高貴なペラスゴイ人らが住んでます。それらの町の一つであるクノソス大都で、ここには大神ゼウス親しく語り合うことを許されミノスが九年にわたって王位ありましたが... -ホメロス『オデュッセイア』第十九歌§164-202 古代ギリシア伝説では、大神ゼウスによって生み出された王ミノスミーノース)がクレタ島王としてクノッソス君臨していたという。ギリシアの歴史トゥキュディデスヘロドトスミノスこそが海軍初め保有した人物であり、ギリシアの海を支配したという伝説伝えている。そして、ホメロス叙事詩イリアス』では、ミノス息子デウカリオンデウカリオーンの子イドメネウスイードメネウス)がクレタの民を率いてトロイア戦争参加しトロイア勢と戦ったという。ミノスまつわる伝説史実性見出すことは無論困難であり、既にヘロドトスミノス王伝説時代人物としてその事績を「人間世代」の王の事績とは区別している。しかし、このような伝説におけるクレタ島への言及は、古典期以前クレタ島イメージ端的に伝えてもいる。ホメロスによってクレタ島付されている「hekatompolis、百のポリス都市)のある」という枕詞は、多数小規模ポリス林立する島として古典古代クレタ島イメージ現代に至るまで形作っている。後期ミノアIII期には実際にクノッソス支配下にあった100超える地名線文字B記録から検出される。ただし前古典期以降確認される実際ポリスの数は、他ポリス支配下にある「従属ポリス」を含めて57である。 前8世紀初め頃から、ギリシアではポリス呼ばれる国家各地形成され始めた上記通りクレタ島でも多数ポリス成立したが、ギリシア本土におけるアテナイスパルタのような帝国的な発展を示すものは現れず、クレタ島ギリシア世界全体の中では辺境の地位に留まった。ペルシア戦争(前499年-前449年)やペロポネソス戦争(前431年-前401年のようなギリシア世界全体揺るがす大戦争においても、クレタ島の諸ポリス積極的な役割果たしていない。 しかし、アテナイスパルタのような最大級ポリスには及ばないものの、古典期以降クレタ島ポリス中にはコリントスシキュオンアイギナのような本土の有力ポリス匹敵するポリス例えクノッソスやゴルテュンなどが存在していた。具体的な政治史情報乏しいが、プラトンアリストテレスのような学者が、主に社会法律について論述においてクレタ島制度触れていることから、なおクレタ島ギリシア世界において一定の注目を集める存在であったことがわかる。 面積が広いクレタ島では地域差大きくその実態は一様ではなかったと考えられるが、当時クレタ社会・法律は一般にドーリスギリシア人ポリスであるスパルタラケダイモン)の社会制度との類似性古くから指摘されてきた。スパルタでは市民階級たるスパルティアタイがペリオイコイヘイロータイヘロット)と呼ばれる従属民を支配したペリオイコイスパルタに対して従属する自治権認められ集団従属ポリス)であり、ヘイロータイ原則奴隷的立場にある人々である。クレタ島ではヘイロータイ相当する言葉としてクラーロータイ(klārōtai)が使用されていたという。 こうした社会制度法律言及する古典古代の著作言及と、諸ポリス残した多数同時代碑文残されていることから、現代学者たちも古代ギリシア世界社会・法律を考察するにあたってクレタ島注目している。例えばゴルテュンで発見された「ゴルテュンの法典」と通称される碑文親族相続に関する規定豊富に含み古代ギリシアにおける家族相続女性などについての研究においてアテナイ法廷演説などと共に第一級史料現代提供している。

※この「ホメロスの世界から古典期へ」の解説は、「クレタ島の歴史」の解説の一部です。
「ホメロスの世界から古典期へ」を含む「クレタ島の歴史」の記事については、「クレタ島の歴史」の概要を参照ください。

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