ホメーロスと古代ギリシア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 04:41 UTC 版)
「ギリシア神話」の記事における「ホメーロスと古代ギリシア」の解説
西欧における古代ギリシア、わけてもホメーロスの像は、いわゆる「トロイアの物語」のイメージで捉えられていた。これは紀元4世紀ないし5世紀のラテン語の詩『トロイア戦争日誌』と『トロイア滅亡の歴史物語』を素材として、12世紀にブノワ・ド・サント=モールがフランス語で書いたロマンス風の『トロイア物語』から広がって行ったものである。この作品は更にラテン語で翻案され、全ヨーロッパ中に広まったとされる。 叙事詩人ホメーロスが意図した古代ギリシアと、西欧中世にあって「トロイア物語」を通じて流布したギリシアの像では、どのような違いがあったのか。ここで言えるのは、両者が共に「歴史性」を負っていること、しかし前者は「詩的」であろうとする世界であり、後者はあくまで「史的」であろうとする世界である。ホメーロス時代のギリシアの世界には「神々の顕現」が含まれていたが、古代末期から近世にかけての西欧において思い描かれていた「ギリシア世界」では、「神々の不在」が顕著であり、脱神話化が行われている。 だがイタリアの人文主義者たちは、ホメーロス『イーリアス』原典を、15世紀半ばにラテン語訳した。この翻訳を通じ、汎西欧的にホメーロス及び古代ギリシアの把握像に変化が生じてきた。17世紀には、ジョージ・チャップマンが『イーリアス』(1611年)と『オデュッセイア』(1614年)を英訳し、マダム・ダシエ(1654-1720)が『イーリアス』と『オデュッセイア』を、フランス語訳した。このように進展した事で、古典ギリシアの再発見とも呼べる事態が到来した。
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