ホメーロスは歴史上の人物か?
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「ホメーロス」の記事における「ホメーロスは歴史上の人物か?」の解説
近年になり、アングロサクソンの作家たちは『オデュッセイア』が紀元前7世紀のシチリアの女性によって書かれたとする仮説を打ち出し、『オデュッセイア』に登場するナウシカアーは、ある種の自画像だという。最初にこのアイデアを打ち出したのはイギリスの作家サミュエル・バトラーの『オデュッセイアの女性作家』(1897年)であった。詩人ロバート・グレーヴスが小説『ホメーロスの娘』でこの説を扱ったほか、2006年9月にも大学教員アンドリュー・ドルビー(英語版)が評論『ホメーロス再発見(英語版)』で取り上げている。 また、ホメーロスの実在を疑問視する者もある。ホメーロスという名前自体にも問題がある――ヘレニズム時代以前には他にこの名前を持つ人物は誰一人として知られておらず、ローマ時代となってもこの名前は稀で、主に解放奴隷が名乗っていた。この名前は「人質」を意味しており、さまざまな物語がホメーロスがかくかくしかじかの都市から人質として渡されたのであると、この名前の由来を説明しようとしている。しかし、この語は通常は中性複数で現れるのであり(ὅμηρα)男性形では現れないと反論されている。紀元前4世紀の歴史家キュメのエポロスは、キュメの方言ではこの語は「盲目」を意味し、盲目であったために詩人にこの名が与えられたと説明した。その目的は、ホメーロスが同郷人であると示すことだった。しかしながら、この語は他では証言されておらず、また「盲目」の語はコグノーメン(第3の名)として見られることはあっても、単独の名前としては付けられない。加えて、叙事詩については匿名が一般的であり、作者の名前が添えられるのは例外であったとも強調されている。 こうしたことから、ホメーロスの存在そのものが「作り事」だという可能性も考えられる。マーチン・リッチフィールド・ウエスト(英語版)は、ホメーロスという人物はアテナイの学識者たちによって紀元前6世紀に作られたとしている。バーバラ・グラジオーシは、これらはむしろ全ギリシア的な運動だったのであり、ギリシア全土の吟遊詩人たちの表現に結び付いているとしている。
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