プレ・ロマネスクとは? わかりやすく解説

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プレ・ロマネスク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 05:00 UTC 版)

ロマネスク建築」の記事における「プレ・ロマネスク」の解説

プレ・ロマネスクの重要な建築形態は、バシリカ単廊式教会堂(Saalkirche)である。単廊式教会堂は、のない単一空間内陣連結した単純な教会堂で、しばしば、これにアプス小礼拝室などが付け加えられる単廊式教会堂は、ロマネスク教会堂側廊のないものがあること、教会堂空間足し算によって成り立っていることを証明するのである礼拝室などの付属室は不規則に連結する場合もあるが、身廊左右に並べて側廊のように配置されるともあれば、身廊左右に取り付いて袖廊構成することもあった。付属室を四方備えた単廊式教会堂としては、西ゴート王国時代建設されサン・ペドロ・デ・ラ・ナーベ聖堂691年頃)、レオン王国によるサンタ・クリスティーナ・デ・レーナ聖堂800年頃)がある。 イタリア半島では、初期キリスト教建築伝統的なバシリカ作り続けられたが、イベリア半島北部アストゥリアス地方では、イタリアとは異な性質を持つバシリカ生み出したオビエドのサン・フリアン・デ・ロス・プラードス聖堂800年頃)は、平面上で東端部にトランセプト有するラテン十字型のバシリカであるが、トランセプト身廊と側廊から明確に分節され、さらに身廊トランセプト両端部にそれぞれナルテクス追加されている。初期キリスト教建築のような空間一体性はなく、独立した各部分を寄せ集めたかような形態である。サン・ミゲル・デ・リーリョ聖堂800年頃)は、現在では西半分しか残っていないが、当初教会堂はかなり容易に復元可能である。平面バシリカであるが、側廊天井の低い部分袖廊のように天井が高い部分繰り返されており、やはり内部空間分離している。ドイツ建設されバシリカは、イベリア半島のものよりも初期キリスト教のものに近いが、アーケード円柱ではなく、太い角柱構成された。また、東端部はアプスで終わるのではなく、より複雑な構成をとる傾向にあった。 プレ・ロマネスクのもうひとつ重要な特徴は、西構え(Westwerk)の発明である。ロマネスク建築からカロリング朝建築を外すことが難しいのは、まさにこの西構えという形態創造したことにある。西構えとは、上部に 塔のような外観突出部を備えた西端部であり、実際これはその当時に塔と呼ばれ次いで完全な塔となった正方形平面多層階から成り1階玄関広間2階東側アーケード身廊解放した大広間を持つ。プレ・ロマネスク期の西構えは、コルヴァイのザンクト・ヴィートス旧大修道院教会堂のみが、かなり改変された状態ではあるが残っている。現在は教会軸線に対して幅が広く奥行きの浅い塔状の構造物で、後に横断西正面呼ばれる形態に近いが、かつてはほぼ正方形平面両側の塔は中央塔よりも小さかった内部1階ロマネスク建築広間式クリュプタと呼ばれる形式構成され2階広間備える。一般にこれは皇帝玉座室か皇帝専用礼拝室であったとされるが、これを裏付ける資料はなく、儀式のために必要な空間、あるいは教会堂付属する補助的な教会堂とする説もある。 アーヘン宮廷礼拝堂は、カロリング朝建築の最も有名かつ主要な建築である。790年から805年にかけて建設されたこの礼拝堂直接源泉は、ラヴェンナにあるサン・ヴィターレ聖堂であるとの説が最も有力で、八角形平面半円アーチアーケードラヴェンナのものとよく対応する。しかし、アーヘン礼拝堂内部は太い角柱強調された高い筒のような空間で、内部と周歩廊がはっきり分離しており、曲線柔らかさ感じられず、全体的に硬い印象与える。また、アーヘン礼拝堂八角形内陣に対して十六角形外壁持ち構造的に複雑なものとなっている。このようなアーヘン礼拝堂とサン・ヴィターレの差異は、初期キリスト教建築から西洋建築への変遷過程にあったカロリング朝建築の特徴をよく示しており、同時代その後時代集中教会堂明快な影響与えることになったロルシュ楼門は、ベネディクト会修道院入り口建設された、外観がほぼそのまま残る唯一の建築物である。2階建ての建物で、1階木造の平天井けられた門となっており、2階大天使ミカエルの祭室となっている。外観は、1階3つのアーチをかけたローマ凱旋門風の意匠持ち2階立面柱形アーチ代わりとなる三角形形で分節して装飾している。立面分節する手法初期中世建築一般的に認められるが、ロルシュ楼門はこれがカロリング朝建築にすでに確立していたことを物語る。外壁分節は、レオン王国ラミロ1世宮殿広間と、イギリスに残るアールズ・バートンのオール・セインツ聖堂の塔(10世紀)にも見られるが、オール・セインツの塔のモティーフは、ローマ建築のものではなく地方的なものに解体されている。ラミロ1世宮殿は、848年建設され13世紀以降はサンタ・マリア・デル・ナランコ(en)と呼ばれている2階建ての建築物で、1階2階ともにトンネル・ヴォールトをけ、粗野ではあるが、円柱ロッジア浮き彫り円盤などで立面分節装飾している。

※この「プレ・ロマネスク」の解説は、「ロマネスク建築」の解説の一部です。
「プレ・ロマネスク」を含む「ロマネスク建築」の記事については、「ロマネスク建築」の概要を参照ください。

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