バリクパパン上陸とは? わかりやすく解説

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バリクパパン上陸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 17:58 UTC 版)

バリクパパン沖海戦」の記事における「バリクパパン上陸」の解説

1942年昭和17年1月10日から12日にかけてボルネオ島タラカン攻略した日本軍は、ついでボルネオ島バリクパパン上陸作戦開始することになったバリクパパン攻略作戦は、日本海軍蘭印部隊指揮官高橋伊望海軍中将/第三艦隊司令長官)と日本陸軍第56師団坂口支隊指揮官坂口静夫陸軍少将)の協同作戦であった。だがタラカンでは機雷掃海手間取り、また占領した飛行場不良のため、バリクパパン対す空挺作戦断念されるに至った。バリクパパン上陸予定日20日から24日延期された。一方日本軍バリクパパン攻略並行してスラウェシ島南部ケンダリー攻略セラム島アンボン攻略を行うことになったケンダリー攻略日本海軍単独作戦で、東方攻略部隊第五戦隊司令官高木武雄海軍少将第二水雷戦隊司令官田中頼三海軍少将)の指揮下でおこなわれた1月21日夕刻第四水雷戦隊基幹とする第一護衛隊指揮官西村祥治少将/第四水雷戦隊司令官)の軽巡洋艦1隻・駆逐艦9隻・掃海艇4隻・駆潜艇3隻・哨戒艇3隻と輸送船団16隻(陸軍8、海軍8)はタラカン出撃した。船団は8ノット南下開始したバリクパパン製油所無傷手に入れるためにコマンド作戦実施されたが、これは失敗した22日船団マカッサル海峡入ったが、タラカンの第23航空戦隊から「降雨のため22日23日飛行場使用不能戦闘機掩護不能」の連絡が入る。第一護衛隊のうち第24駆逐隊駆逐艦2隻(海風江風)は途中から別働隊(はばな丸、漢口丸)を護衛して先行した1月23日未明米軍潜水艦スタージョンは「海風」に魚雷4本を発射した命中せず爆雷反撃された。同日夕刻双発爆撃機9・軽爆撃機4機の空襲を受け海軍運送船「辰神丸」が損傷受けたつづいて駆逐艦江風」が敵潜を探知して爆雷攻撃実施並行して一時間以上にわたる空襲を受ける。1930分、「南阿丸」(第十一航空艦隊むけ燃料搭載)がオランダ軍B-10爆撃機攻撃により被弾炎上積荷ガソリン引火したため船体放棄となった乗組員は「峯雲」に収容された。夜になると船団バリクパパン泊地到着、第2駆逐隊駆逐艦4隻(村雨春雨五月雨夕立)が泊地掃海実施した1月24日日付変更時、第一護衛隊泊地警戒陣形移行しつつあったが、第2駆逐隊泊地南方数浬で掃海索を揚収していた。第四水雷戦隊旗艦/軽巡那珂」は第一泊地の「敦賀丸南西1km停泊していたところ、0035前後魚雷艇実際オランダ潜水艦K-18)を発見跡を認めて艦首ぎりぎり回避したが、この魚雷が「敦賀丸」に命中した哨戒直として那珂艦橋にいた大熊当時那珂水雷長)によれば当時那珂機関停止状態で回避不能だったが、魚雷2本は那珂艦底通過して輸送船方に航走していったという。魚雷命中により「敦賀丸」は沈没した西村司令官は第30掃海隊(第17第18号掃海艇)に救助命じ、第9駆逐隊朝雲峯雲夏雲)は船団東方3kmを、第31駆潜隊船団西方を、哨戒艇船団南方を、第11掃海隊は船団北方を、それぞれ警戒するよう命じた。「那珂」は泊地東方5km附近行動して警戒おこない、第9駆逐隊続行命じる。第2駆逐隊は、4隻(那珂朝雲夏雲峯雲)のさらに外側哨戒していた。午前1時40分、第一次上陸部隊久米大隊山本聯隊主力)が大発動艇大発10、小発10)に乗って出発午前2時40分に上陸成功した上陸部隊は、折り返して第二次上陸開始した

※この「バリクパパン上陸」の解説は、「バリクパパン沖海戦」の解説の一部です。
「バリクパパン上陸」を含む「バリクパパン沖海戦」の記事については、「バリクパパン沖海戦」の概要を参照ください。

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