バリケードの日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 05:31 UTC 版)
1585年3月にギーズ公が北フランスの諸都市を占領して第8次戦争が始まった。 ギーズ家の圧力の下で、1585年7月にアンリ3世は渋々ながらヌムール勅令を発し、プロテスタントの礼拝禁止と改宗に応じない者の国外追放を強いる弾圧政策と、ナバラ王アンリの王位継承権無効を宣言した。教皇シクストゥス5世もこれに応じて、ナバラ王アンリのナバラ王位とフランス王位継承権の剥奪を宣言する。 当初、国王はカトリック同盟の指導者を取り込んで交渉による解決に持ち込もうと図っていた。だが、この動きはユグノーを破産させてその財産を国王と分割しようと望んでいたギーズ家にはひどく嫌われた。状況は悪化して、再びユグノーとの戦闘状態に突入してしまう。ナバラ王アンリはドイツ諸邦やイングランド王エリザベス1世からの援助を求め、また不満派や穏健派カトリック(ポリティーク派)と手を結ぶ。1587年10月20日のクートラの戦いでナバラ王アンリはカトリック軍に大勝した。 一方、強硬派カトリックの16区総代会の影響の下、パリ市民はアンリ3世自身と彼がユグノーを撃破できないことに不満だった。1588年5月12日、アンリ3世がギーズ公の命を狙っていると疑ったパリ市民が、ギーズ公を守るために通りにバリケードを組んで蜂起し、恐れたアンリ3世は逃亡してしまう(バリケードの日)。16区総代会が市政を掌握し、ギーズ公が市への補給路を確保した。王太后カトリーヌが仲介して統一勅令が出され、国王はヌムール勅令の再確認、ナバラ王の叔父ブルボン枢機卿(ギーズ派)を王位継承者に承認、ギーズ公の国王総代官任命といったカトリック同盟の要求をほとんど全部飲まされた。
※この「バリケードの日」の解説は、「ユグノー戦争」の解説の一部です。
「バリケードの日」を含む「ユグノー戦争」の記事については、「ユグノー戦争」の概要を参照ください。
- バリケードの日のページへのリンク