ノストラダムスの肖像とは? わかりやすく解説

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ノストラダムスの肖像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 09:04 UTC 版)

ノストラダムス」の記事における「ノストラダムスの肖像」の解説

ノストラダムスの肖像は、冒頭にも掲げた息子セザールによる肖像画をはじめ、絵画版画、『予言集』の挿し絵などで数多く描かれており、彫像なども複数存在している。しかし、同時代肖像画として知られているのは、後述するピエール・ヴェリオのものが唯一である。 文章による風貌証言としては、秘書だったシャヴィニーのものがある。 彼の身長平均よりも少し低かったが、身体頑強にして壮健で、逞しかった。大きく開けた額、真っ直ぐで一様な鼻、灰色の瞳そなえており、眼差し穏やかだったが、怒ったときには燃えているようだった。厳格だ陽気な風貌だったので、厳格さ中に深い人間味込められいるようだった。老齢になってまでも頬の血色良くあごひげ濃くて長かった晩年を除くならば、健康状態良好快活だったし、諸感覚はすべて鋭敏欠陥がなかった。精神に関しては、活発で良質なものを持っており、彼が望むことは全て軽々理解できた。判断緻密で、記憶力には驚くほど恵まれていた。無口な性格のため、熟慮しつつもほとんど口を開かなかったが、時と場合に応じて良く喋った残りの点としては、彼は用心深く迅速・性急で、怒りやすかったが、仕事には忍耐強かった。彼は4、5時間しか眠らなかった。言論の自由愛して称賛し陽気な性格冗談好きだったので、笑いながら辛辣なことも言った。 以下にノストラダムスかたどった主な絵画彫刻などとその概説掲げる。 肖像解説 ピエール・ヴェリオ(フランス語版)が1562年描いたノストラダムス58歳の肖像画で、直径12 cm版画である。ノストラダムス本人生きているうちに描かれ肖像画は、ほかに確認されていない。ヴェリオはリヨン住んでいたことがあるため、ノストラダムス面識があったのではないか推測する者もいる。 フランス版画家レオナール・ゴーチエ (Léonard Gaultier, ca1561 - ca1630) が描いた肖像画で、ガブリエル・ミシェル・ド・ラ・ロシュマイエ『1500年から現在までにフランスで活躍した多く著名人たちの肖像画集』 (Gabriel Michel de la Rochemaillet, Pourtraictz de plusieurs hommes illustres qui ont flery en France depuis l'an 1500 jusques à present, Paris, J. le Clerc, ca1600) に収録された。この文献144人の官吏学者芸術家などの肖像並べたもので、画像に「129」とあるように、ノストラダムスはその129番目に収録されている。オリジナルサイズ3.5 x 3 cm である。 息子セザール1614年頃に描いた肖像画である。銅板油彩描かれており、そのサイズ18 x 16 cmである。メジャヌ図書館所蔵エクス=アン=プロヴァンス)。 上記セザール肖像画複製したのであるルイ=フィリップヴェルサイユ宮殿に飾る絵としてフランソワ・グラネに依頼したもので、1846年頃に彼かその工房によって作成されものらしい。サイズ18 x 13 cm で、画布描かれ油彩画である。現在はヴェルサイユ・トリアノン国立美術館所蔵されている。 息子セザール描いた望遠鏡携えるノストラダムス部分)。オリジナルサロン=ド=プロヴァンス市庁舎の「結婚の間」に飾られている。望遠鏡発明ノストラダムス死後のことだが、セザール学者としてノストラダムスの姿を強調しようとしたと考えられている。 1668年アムステルダム版『予言集』の口絵書斎腰掛けノストラダムス肖像画の下には、私は真理語り虚言語らない。それは天から賜りものゆえ、 語り手は神であって、私ことノストラダムスではないのだ。 Vera loquor, nac falsa loquor, sed munere coeli Qui loquitur DEUS est, non ego NOSTRADAMUS と書かれている。この二行詩はもともと匿名解釈書『ミシェル・ノストラダムス師の真の四行詩集の解明』(1656年)に掲載されいたもので、その著者は二行詩が自作のものである示していた。この版画は、1668年パリ版をはじめ、17世紀から18世紀初頭複数の『予言集』の版で模倣された。 1691年頃にリヨン出版業者アントワーヌ・ベソンによって出版された『予言集』の口絵肖像画の下には四行詩添えられている。ここで神は我が口をお使いになる、 汝に真実告げるために。 もしも我が予言が汝の心を動かすなら、 神へと感謝なさるがよい。 この四行詩は、上記1668年版に掲載されていたラテン語フレーズ触発されものという説もある。四行詩の上には小さくドーデ (Daudet) と署名があり、この版画作者考えられている。この肖像画同時代バルタザール・ギノー解釈書などに転用された。 パリでオデューヴル (Odieuvre) が1742年頃に作成した銅版画である。サイズ18 x 11.1 cm で、ジャン・ブーランジェ(英語版)(1608年 - 1680年) による肖像画模倣している。 ノストラダムス若い頃描いた版画。ただし、1754年にオール・ビレット (Aure Billette) が描きパリのドヴォー (Deveau) という出版業者刊行したものであって後の時代想像図にすぎない。この肖像画は、パリの他の業者即座に模倣したため、肖像画周りがメダイユで囲まれバージョン存在している。 レ・ザルピーユ・ピエール=ド=ブラン博物館サン=レミ・ド・プロヴァンス)等に所蔵されている版画である。 ウジェーヌ・バレスト著書ノストラダムス』(1840年)に収録され肖像画。エメ・ド・ルミュ筆。 サン=レミに残る「ノストラダムスの泉」の彫像拡大)。1859年彫刻家アンブロワーズ・リオタール (Ambroise Liotard, 1810-1876) が製作した。この時期にはサロンでもノストラダムス彫像築かれたが、その背景には、アンリ・トルネ=シャヴィニー一連の解釈書が話題となる中で、町の注目度上げようとしたことがあったという。 サロン=ド=プロヴァンスの百詩篇広場近く建物描かれノストラダムス。ミアミ・グループ (le groupe Miami) によって、1998年作成された。元になった絵は18世紀のC.G.E.ディートリヒ (C.G.E.Dietrich) が描いた推測されている肖像画である。 フランソワ・ブーシェによる、ノストラダムスイメージした抽象的な彫像1964年製作されたが、サロン=ド=プロヴァンスに現在飾られているものは1999年復元されたものである

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