スラヴ民族の移動とは? わかりやすく解説

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スラヴ民族の移動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 16:08 UTC 版)

スラヴ民族の北東ルーシへの移動」の記事における「スラヴ民族の移動」の解説

スラヴ人」および「東スラヴ人」も参照 スラヴ民族原郷がどこであるかは定説打ち出されていないが、4 - 5世紀には、スラヴ民族分散移動開始しそのうち一派6 - 7世紀にはイリメニ湖ヴォルホフ川流域達したルーシ全域スラヴ民族は、『原初年代記』等の文献的史料考古学的検証に基づきいくつかの部族(あるいは部族連合)として分類なされている。スラヴ民族の移動の速度は、森林伐採し農耕地を獲得しながら進んでいく緩慢なものであったが、北東ルーシ移住してきたスラヴ民族植民は、多数かつ積極的に行われていたことが確認されている。考古学的調査に基づけば、集落跡地は、原則的に丸太用いて建造した定住式の多く家屋耕地からなっており、また、製鉄場を有し非鉄金属などから生活用品装飾品作られていた。 北東ルーシへの移住は、いくつかの段階経ている。移住第一陣は、9世紀から10世紀にかけて行われた北東ルーシへの流入経路は、ノヴゴロド方面からの流入と、ヴォルガ川上流域からの流入二つルートよるものだった。すなわち、北東ルーシの東と北ではヴォルガ川沿いにクリヴィチ族進出し始めており、このクリヴィチ族北東ルーシ流入しスーズダリ居住者基礎的な部族となった移住のための陸路が拓かれていない場合河川主要な通路となったまた、モスクワ南部や、11世紀リャザン公国成立する領域には、主としてヴャチチ族入植したヴャチチ族リャザン領域を、オカ川下流、またモスクワ川上流へと移住地を広げていった。クリヴィチ族ヴャチチ族移住地の境界線は、出土するヴィソチノエ・コリツォ女性用装飾品一種)の特徴からみて、モスクワ川クリャージマ川分水嶺沿って伸びていた。なおオカ川下流ムーロム地域におけるスラヴ民族居住地拡大は、オカ川沿いではなくネルリ川クリャージマ川沿いに進行していることから、主としてクリヴィチ族による進出である。さらに、ラヂミチ族、セヴェリャーネ族の参入確認できる考古学的調査によれば北東ルーシでは、10世紀後半以降において、都市のみならず集落の数と規模(その増加12世紀から13世紀前半頂点達した)に特徴見出される。すなわち、北東ルーシスーズダリ地方と、北西ルーシベロエ湖シェクスナ川周辺での考古学的調査比較すると、スーズダリ地方では、約2000規模の、非常に高密度な居住地が、この期間の大半わたって出現していた。一方ベロエ湖周辺では、居住地密度低く12 - 13世紀密度の高まる兆し見られる北東ルーシへの入植理由は、以下のものである。まず1つは、中世の温暖期にあたるとともに安定的な農作物収穫期したのであるスーズダリのオポリエ地層花粉堆積量からみて、9世紀初頭から林木減少し始めており、12世紀には開墾され土地主体となっている。他の理由としては、国際交易発展と、他のルーシ地域枯渇した毛皮作用獣皮(ru)の需要高まりよるものである。集落跡地からは、ビーバーリスイタチなどの毛皮を持つ動物骨格発見されているが、そのうち62%は、切断などの形跡のない完全な形で出土している。また、10世紀末のルーシ洗礼(ru)(キエフ大公国におけるキリスト教の国教化以降は、キリスト教政権から逃れ異教キリスト教から見た信仰守ろうとする人々移住が行われた。 先住民フィン・ウゴル民族との接触に関しては、史料記述考古学的検証に基づく限りでは、フィン・ウゴル民族スラヴ民族押し出されることなく滞留しスラヴ民族同化ていった判断される仮説として、フィン・ウゴル民族がより東方へと移動したケース若干存在したではないかとする説はある)。北東ルーシにおいてはフィン・ウゴル民族居住地立地と、その人口の希薄さという条件に因って武力制圧伴わない平和的な植民が行われ、またかなり速度で、スラヴ要素数的に優位に立ったということができる。ロストフ・スーズダリ地方最北端の、いくつかの地点での考古学的調査からも、集落遺跡クルガン埋葬形態において、フィン系伝統的な様式減少していく過程確認されている。文献史料の面からも、10世紀中盤以降フィン・ウゴル民族メリャ族ムーロマ族ヴェシ族年代記上に言及されなくなることから、おそらくスラヴ民族との同化完了したものと考えられる

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